シニアがブログでモノローグ

このままでは年を取って死ぬだけ。ブログでもやってみよう。

黄葉のブナ林

10月に入って秋らしくなった。

暦の上では9月から11月までが秋だが,このところの温暖化の影響か,秋の訪れは少し遅くなった。

特に南国の九州では9月まで残暑が続く。

私はリタイアするまで東北地方にいたので,北国と南国の気候の違いを実感している。

 

東北地方の山間部の紅葉も10月中旬の今からが見頃。

人里離れた山奥で見る紅葉は,都会近郊で見る紅葉とは一味違う。

住んでいた海岸部の町から車を2時間くらい走らせると,その場所に行くことができた。

 

以下,私が東北のどこら辺で車を走らせていたか,お遊びで具体的な地名を明らかにしないで書いてみよう。

すぐにコースがわかる方もいるか知れないが。

なお,このコースは晩秋に訪れて自然の美しさにいたく感動したときのものだ。

 

海岸部の県庁所在地から山間部へ向けて車を走らせ,田園風景や武家屋敷を横目に見ながら通過する。

しばらくして道路を左折し,水深が日本一の湖の方面へと向かう。

湖を背にしてスキー場へと続く上り坂をアクセルをふかしながら登って行く。

スキー場も通過し、曲がりくねって細くなった道をさらに進む。

そうしてたどり着くのが、あるひなびた温泉郷

 

数少ない建物の裏手に広大なブナの森が広がる。

人気のない山道を少しだけ登ってみる。

・・・・・。

静かだ。

 

やがて,風が吹いてあたり一面で木の葉の擦れる音が聞こえてくる。

ブナの森なので紅葉というよりも黄葉という方がふさわしい。

おおいつくす黄葉が陽に照らされて美しい。

晩秋なので落ち葉がはらはらと舞う。

このままでいたらブナの森に埋もれてしまいそう。

私は思わず立ち尽くして黄葉の隙間から見える青空を仰ぐ。

・・・・・。

 

ああ,いつの間にか私は詩人の心境。

詩の一つでも作りたいが,作れなくて我に返る。

 

人生の黄昏を象徴しているかのような、あのときの風景が忘れられない。

写真など野暮なものは撮っていない。

 

 

 

スポーツの日

今日はスポーツの日。

昔は体育の日といって,一回目の東京オリンピック(1964年)の開催日に当たる10月10日を記念する祝日だった。

それが,いつの間にか10月10日に固定されず,ハッピーマンデー扱い(連休を増やすために祝日を月曜日に移動する)されている。

今年は,たまたま,その月曜日(10月の第2月曜日)が10月10日になったということ。

 

体育の日というと学校教育での教科のイメージが強いので,もっと広い意味でスポーツの日としたのだろう。

スポーツの意味を広辞苑で引くと「遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素を含む身体運動の総称」とある。

日本語でいうと,今日は「身体運動の日」ということか。

 

祝日法によるとスポーツの日は「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う」ことが趣旨になっている。

 

英和辞典で“sport”を引くと,最初に記されている意味は「運動,競技」だが,その次に記されている意味は「楽しみ、気晴らし、娯楽」だ。
スポーツの語源としては,むしろ後者の意味が近い。

もともとはラテン語の“deportare”が語源らしい。
デ(離れる)+ポルターレ(荷を運ぶ)ということで,「働かない、遊ぶ」という意味を持っていた。
これが英語で“disport”と表現され,やがてdiが消失して"sport"になった。

 

したがって,スポーツの本来的な意味は「遊び」だ。

そう考えると射撃やコンピューターゲーム(eスポーツ)がスポーツと呼ばれることにも納得がいく。

 

活動しやすい季節になった。

大いに遊ぼう。

 

 

ターミナルケアやリビングウィルについて記しておこう

前回と前々回のブログで,将来の自分の弔われ方について希望を言わせてもらった。

ついでに、自分の終末医療ターミナルケア)をどうしもらいたいかも記しておこう。

私の意思判断ができないときに備えてのリビングウィル(生前の意思)でもある。

 

誰でもそうか知れないが,医療で痛い目や苦しい目にあうのはいやだ。

人生の最終段階を迎えて,そんな治療は可能な限り避けたい。

私のターミナルケアの基本方針にしてもらいたい。

 

私の意識が朦朧としてきて周囲の医療関係者や家族との意思疎通ができなくなったときのために、簡単にリビングウィルを示しておきたい。

リビングウィルに書式はないらしいから,思いつくままに記す。

 

1.回復する見込みもなく死期が近づいているときは,痛い目や苦しい目にあうような延命治療はしないでください。

 

2.人工呼吸器や胃ろうで、ただ生きているだけの状態になりたくありません。

 

3.身体的・精神的な苦痛の緩和については積極的にケアしてください。あわせて,私の家族の精神的な苦痛についても和らぐようご配慮願います。

 

4.私は献体や臓器移植をするほど人間ができていません。しないでください。

 

人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスについて、厚生労働省ガイドラインを示している。

本人や家族と医療関係者が繰り返し話し合って医療・ケアの方針を決めるアドバンス・ケア・プラニング(人生会議と名づけられている)が推奨されている。

 

アドバンス・ケア・プラニングのようなカタカナ用語が世の中にあふれている。

終末医療でも,欧米に学んでいることが多いのだろう。

家族葬 VS 国葬

前回のブログの続きになるが,自分が死んだときの弔い方をどうしてもらいたいかを話題にしよう。

自宅(手元)供養にしてもらいたいと記したが,葬式のやり方についても私の希望を述べておかねばなるまい。

 

自宅供養でお墓に入らないのだから,当然,僧侶を呼んで宗教のしきたりに従った昔ながらの一般葬にはならない。

決められた形式をとらなくていい家族葬がふさわしかろう。

 

家族葬といっても参加するのは家族だけに限らないようだ。

しかし,私の場合は6人兄弟姉妹の末子だから順当に亡くなっていくと,私が無くなるときに兄弟姉妹はいない。

親族に参列してもらう必要はなかろう。

妻の側の親族も呼ばなくていい。

 

遺体安置,納棺,通夜,告別,出棺,火葬,収骨の流れか。

 

家族葬用の施設で葬祭会社の手を借りて,家族だけの静かで簡素な葬式をしてもらえればいい。

心が落ち着くクラシックやジャズをBGMで流してもらおう。

 

おりしも,今月は国葬が2つある。

最初にあるのが,英国のエリザベス女王国葬

後日あるのが,我が国の安倍元首相の国葬

 

エリザベス女王は英国のみならず英連邦の国々の君主であり,この人を国葬にしないでどうするという感じ。

安倍元首相の場合は,現首相が国葬の指揮をとるにもかかわらず,世論の非難を浴びて「誰が国葬にしろと言い出したんだ!」と自らいう始末。

政治的思惑から国葬にしたりしないで,身内で葬式を済ませた方が国民からの支持を得ただろうに。

 

 

自宅(手元)供養にでもしてもらうか

前回のブログでエンディングノートについて記した。

プライベートな文書だが、自分が死んだときの弔い方をどうしてもらいたいかなどは,このブログで触れてみてもいい話題だろう。

 

私の故郷には先祖代々の墓がある。

墓があるのは故郷の高台にある臨済宗のお寺。

ときどき,母と一緒に墓掃除に行った。

墓を前にして、母は私に「死んだときはこの墓に入ればいい。」と言っていた。

若かった私は,そうするかと気軽に考えていた。

 

その後,故郷を離れ,家庭を持ったりして幾星霜。

私(三男)の両親は既に亡くなり,墓を引き継いだ長男家は,実質,長男の子が墓守をしている。

・・・・・。

何となく,気軽には故郷の墓に入りづらい。

私の家族のこともある。

 

ということで,自分の供養の仕方はちょっと考えた方がよさそうだ。

世の中の賢明な方々は早々とこんなことに気づいていて,きっと準備はできているに違いない。

 

遅まきながら、考えないといけないのは自分の墓を持つか否かということか。

・・・・・。

私は墓などいらない。

 

宗教心がないからかも知れないが、墓に入れられて供養してもらおうとは思わない。

家族も法事などでお寺とやり取りしなくて済むので,その方が気楽ではないか。

 

私たちは地球から生まれて地球に還る(2020年10月16日付のブログ「千の風」をご参照あれ)。

自然に還る散骨も考えないではないが、それなりの許可や手続きが必要だ。

 

ということで今、考えているのは遺灰を壷に入れて自宅に置いてもらい、私を偲ぶよすがにしてもらうこと。

インテリア風の壷もある。

遺灰を分けて装飾品に入れることもできる。

自宅(手元)供養というらしい。

ゆくゆくは親身に供養する人もいなくなるだろうから,その前に遺灰は好きにしてもらおう。

 

そのときは,できれば自然に還りたい。

家族には話をしていないので、何といわれるか分からないが。

 

今、この地上で元気に生きている人たち。

あと100年もすればほとんどいなくなる。

諸行無常

 

 

 

エンディングノート

前回のブログで,古希を迎えたものの特に感慨はないことを記した。

そうはいうものの、人生の晩年のステージにいることは確かなので、それなりの準備(覚悟というほどのものではない)は必要か。

 

となると、エンディングノートにでも何か書き記しておくべきなのか。

遺言書を作成しておくほどの財産はない。

遺書を書いたら死なないといけない気持ちにならないだろうか。

 

エンディングという言葉は嫌だが、自分の来し方行く末を自由に書き残しておくエンディングノートくらいが自分には適当だろう。

まだ,書くかどうかは決めていないが。

 

早速、ネット検索で「エンディングノート」というキーワードを入れてみる。

エンディングノートの意義や書き方がたくさん検索できる。

 

意義としては、家族にはわからないようなことを知らせたり,終末期の医療や弔い方の希望を知らせたりするということのようだが,それだけでない。

「自分の人生を振り返り、自分を見つめ直し今後に生かすために頭を整理するツール」と書いているものがあったが、うまい表現をするものだ。

 

書き方はいろいろ。

項目としては、自分史、財産、加入保険、自分しか知らないパスワード,相続,家族・親戚のこと、友人・知人のリスト、自分の終末医療,弔い方(葬儀,墓の有無),伝えておきたいことなどがある。

 

エンディングノートということでいろいろな様式のノートが出回っている。

とりあえずは,項目ごとにパソコンで記述しておくのがよさそう。

 

古希

今年,古希を迎えた。

現代社会では「古来稀(まれ)なり」という意味合いは薄れ,かなり多くの人が迎えている70歳。

自分がなってみても,特に感慨というのは湧いてこない。

 

若いときは70歳前後の人をみると立派なお年寄りと感じていた。

しかし,自分がその年齢になってみると体力的な衰えは感じるが,お年寄りと呼ばれたくないし,人生を達観できるようになったとも思わない。

煩悩はくすぶり続けている。

 

令和3年の生命表厚生労働省)によると,男の平均寿命(0歳児の平均余命)は81.47歳。

ただし,70歳まで生きてきた人が平均して以後どれくらい生きられるかという平均余命は男で15.96歳。

平均寿命よりも70歳の平均余命の方に期待しよう。

 

しかし、あと約16年の余生では短い気がするので、人類の限界寿命に挑戦するような気持でいようか。

(限界寿命については、2020年9月24日のブログ「私たちの生理学的寿命」をご参照あれ。)

そう考えると、あと半世紀近くは生きる可能性がある。

 

これから先、さらに年齢を重ねていくと、父母兄弟をはじめ身の回りにいて親しくしていただいた年上の方々は次第に鬼籍に名を連ねていくだろう。

会いたいと思ったり心強く思ったりするようになれば、長生きしたい気持ちは薄らぐか知れない。

 

無神論者で、あの世などもないと考えている我が身ではあるが。