シニアがブログでモノローグ

このままでは年を取って死ぬだけ。ブログでもやってみよう。

故郷

秋の夜長に物思いにふけっているときなど、なぜか故郷が懐かしくなる。

帰巣本能とでもいうべきものか。


私にとっての懐かしい故郷の風景は城下町の丘の上から見える海と小島だ。

幼い頃、丘へ続く坂道を母に連れられて昇り降りするときに、母が「みかんの花咲く丘」を歌ってくれた。

遙かに見える青い海など、歌詞と見渡せる情景がよく一致していた。

両親が眠るお墓が高台にあり、そこからも同じような景色が見えて、墓参りに行くとそのときのことを思い出す。


父との思い出は、夏にある祇園様のお祭りだ。

お槍振り、神輿(みこし)や山車(だし)が繰り出す行列の見物もしたが、夜店が何よりも楽しみだった。

あまり子どもを相手にしてくれない父であったが、夜店には「行ってみるか」とよく誘ってくれたものだ。

今はどうか知らないが、サーカス、お化け屋敷、得体の知れない見世物小屋、かき氷屋に金魚すくい、興味をそそらせる多くのものが立ち並んでいた。

戦後、十数年経っていたが、傷痍軍人の方々も見かけることがあった。


小学生の低学年の頃であったろうか、近くを流れる小川の護岸工事が行われた。

両岸が頑丈なコンクリートで固められたので、石垣のすき間にいるカニを捕って遊ぶようなことはできなくなった。

次第に小川の様相も変わり、清流ではなくなったので川遊びは遠のいた。

 

同じ頃、町中のほとんどの小路が舗装された。

雨で道がぬかるむようなことはなくなったが、このことも私たちの外遊びを面白くないものにした。

チョウレンと呼んでいたビー玉は舗装された道路をどこまでも転がり、パッチンと呼んでいた面子は地面に打ちつけると固い地面から非情な感じで跳ね返された。

三角ベースでの滑り込みは、かなりな擦り傷につながることが誰にも想像できた。

高度経済成長の波が地方にも押し寄せてきた頃の切ない思い出である。


高校生まで故郷で過ごしたが、私と同じように卒業すると生まれ育った土地を後にして生活し始める人たちが大半ではなかろうか。

高校を卒業する頃、友人と一緒に近くの山に登り、市街を眺めながら、この景色も見納めかと語り合った。

都会に職を求め、あるいは進学せざるをえない地方の若者が多い状況は今も同じであろう。


年月が経つと、故郷の町を歩いてみても見覚えのある顔はだんだんと少なくなる。

会って話しをしてみたい親もいなくなると、故郷はますます疎遠になる。

それでも、故郷を懐かしむ気持ちは変わらない。

フォークソングにあるように、「そこにはただ風が吹いているだけ」かも知れないが、またいつか帰郷して「千の風」に吹かれたい。

 

地域の創生や開発に励まねばならない世の中ではあるが、ふるさとには昔の面影も少しは残しておいて欲しい。