東京オリンピックに次いでパラリンピックが行われていたが,それも先日終わってしまった。
パラリンピックでは,障害のある人たちが選手となって熱戦を繰り広げた。
卓球では、エジプトのハマドトウ選手が足の指でボールをつまんで投げ上げ、口にくわえたラケットでボールを打っていた。
ラリーもできる。
興味本位で見てはいけないが、その技術に見とれてしまった。
ここまでなるには相当の努力が必要だったろう。
努力が苦手な私は頭が下がってしまう。
民族差,男女差,年齢差などがあって私たちの存在は多様だ。
さらには,身体や心に障害を持つ人がいたりして多様性に満ちている私たちが共生する社会を実現するために、オリンピックと並行してパラリンピックが開催されている。
共生するとは文字通り、一緒になって生きて行くということだろう。
パラリンピックでは,障害のある人たちがそうでない人たちに支えられながら競技している。
このような共生は,一方のみが利益を受ける「片利共生」(生物学用語)のように感じるかもしれないが,断じてそうではない。
利益とは無関係に共生しなければならない。
共生するとは、様々な人たちがお互いを尊重して分け隔てなく暮らしていくことだ。
私たちみんなにこういうことができたら,もう少しましな世の中になりそうなのだが。