いつの間にか1月も過ぎた。
ボーッとしていたらチコちゃんに叱られる。
数日前には立春も過ぎた。
暦の上ではもう春。
立春というのは「二十四節気(にじゅうしせっき)」という一年を24等分したときの一つの呼び名。
紀元前に中国で作られた暦の中で使われてきた。
地球から見える一年間の太陽の動き(黄道)を等間隔に区切り,区切りに名前をつけている。
その中間は春分,秋分,さらにその中間は立春,立夏,立秋,立冬。
ここらへんまでは,よく聞く名前だ。
立春,立夏,立秋,立冬はそれぞれの季節の1日目にあたる呼び名。
あくまでも暦の上での季節だから,季節の実感とは少しズレがある。
立春とはいえ,まだ,寒いではないか。
日本での季節感からいうと暦上の季節は早くやってくる。
このことについては、日光の強さ(太陽の高度)よりも少し遅れて気候が変化することや,暦ができた中国と日本の気候の違いなどが影響しているのだろう。
立春,立夏,立秋,立冬はその季節になるというよりも,その季節の気配が感じられるようになるということか。
それぞれの季節の1日目の前日を節分という。
立春の1日前の節分は豆まきをしたりして特に有名だから,節分というと立春の1日前を指すことが多い。
旧暦では立春を新年の始まりとしていたから,節分は大みそ日のようなもの。
一年の締めくくりに,厄や災難をもたらすとされる鬼を豆をまいて追い払う宮中の行事が民間にも定着したらしい。
家の中で「鬼は外,福は内」と叫びながら豆をまいて鬼を出入り口から締め出す。
鬼は目に見えないが,わかりやすくするために可視化して鬼役を立てたりする。
改心する鬼もいるというから,「インクルーシブ」が強調される現代社会では一概に鬼を除け者にするのはいかがなものか。
むしろ,私たちの心のうちにいる鬼を追い出さねばなるまい。
なーんちゃって。