シニアがブログでモノローグ

このままでは年を取って死ぬだけ。ブログでもやってみよう。

サッカーワールドカップを見て思う日本人選手

サッカーワールドカップも決勝トーナメントに進出する国がほぼ決まり、佳境を迎えようとしている。

日本も進出できるようになったが、最初の相手がブラジルだから負けてもおかしくはない。

思いっきりやれるのではないか。

 

予選のリーグ戦で日本はオランダやスウェーデンと対戦したが、日本人選手がやや小さく見えた。

日本の選手も全体としてみれば昔より大型化したのかも知れないが、ヨーロッパの彼らはそれを上回る。

体と体がぶつかり合うコンタクトスポーツでは、大型の選手の方が有利。

つぶしに来たオランダ人選手の犠牲になったのは小柄な久保。

スウェーデンはロングパスでボールを高く上げ、空中戦で身長の高さを生かそうとした。

 

北欧の人たちは身長が特に高い。

オランダ人男性の平均身長が最も高く180cmを超える。

日本人男性より約10cm高い。

 

身長だけではない。

筋肉量も欧米人はアジア人より多い。

医療機器を通じて世界各国の両腕と両脚の筋肉量が比較されている。

その数値(骨格筋指数)を見ると、日本人の筋肉量は最も少ない。

そのせいかどうかわからないが、相手陣地でペナルティエリア外から打つ日本人選手のミドルシュートに強烈さが欠けていないか(打たないことの方が多いが)。

 

・・・・・。

ここでフィジカルの不利を嘆いていてもしょうがない。

よくいわれているように、日本代表の強みは組織としての力。

サッカー戦術のことはわからないが、イレブンが連携を取り合ってパスを重ね、相手の空いたスペースから攻め込むような戦い方が得意なのか。

 

間もなく行われる対ブラジル戦は、集団の日本と個のブラジルの戦い。

ブラジルの強さにあこがれるのは止めよう。

誰の言葉か知らないが、強い方が勝つのではなくて勝った方が強いのだ。

 

 

サッカーワールドカップ北中米大会でテレビは賑わう

今月に入ってサッカーワールドカップの北中米大会が始まる。

日本のテレビ番組は毎日,この話題で持ち切り。

4年に一回だけ,サッカーはプロ野球よりもはるかに注目される。

野球の世界大会(WBC)が開催されるときも騒がれるが,世界中に普及して関心が寄せられるサッカーにはかなわない。

 

ということで,昨日行われた日本対チュニジア戦の感想を記しておこう。

グループリーグでランキング最下位のチュニジアには勝っておかないと決勝トーナメント進出が危うくなりそうなので,観戦する側も少し力が入る。

チュニジアには,監督が交代して何をしてくるかわからない不気味さがある。

 

試合を見始めて間もなく,日本に先取点が入ったのには歓喜。

相手ゴールに詰めた鎌田選手のヒールキックなのか偶然に脚に当たっただけなのかわからないが、センタリングされたボールはゴールポストの中に。

点が入れば何でもいい。

ここ見ている側は、さらに追加点が欲しいという気持ちに切り替わる。

1点だけでは心もとない。

 

そうこうしているうちに,今度はフォワードの上田選手が相手の股を抜くミドルシュートで2点目が入る。

ワールドカップに参加し始めた頃の日本は,相手ゴールのペナルティーエリア内に入ってさえもパスを回し続けるようなことが多かったのに。

シュートを打ってもゴールポストの枠外にボールが飛んでいくことが多かったのに。

 

今は日本代表の選手たちのほとんどが海外のチームに在籍。

ただ在籍しているだけではなく活躍しているのだから時代は変わった。

海外の選手を相手にしながらテクニックやフィジカルを向上させたのだろう。

代表的な選手たち数人がケガで欠けてしまっても戦えるのだから、選手層も厚そうだ。

 

対チュニジア戦の後半も2点を追加し、結局、4対0で日本が勝利した。

このような試合運びが次戦の対スウェーデン戦でもできれば、決勝トーナメントに進んでもいいところまで行けそうなのだが。

簡単に行きそうにないが、選手たちは優勝を目指すというのだからメンタルも大したものだ。

 

 

 

 

暑熱順化のつづき

前回のブログで夏の暑さに慣れる暑熱順化について記したが,暑さに慣れるというのはどういうことなのか。

もう半世紀以上前になるが,学生時代に習った教科書に記述されていたことを思い出す。

アメリカで実施された先行研究の文献を引用し,暑熱順化を説明しているページだ。

詳細なことはすっかり忘れているので,教科書を見返してみる。

 

その文献では,暑さへの慣れを生体負担が軽減されることとしてとらえている。

生体負担の指標としては,皮膚温,心拍数,体温(直腸温)を測定。

暑熱順化させる方法として身体トレーニングを試みている。

気温が21℃の屋外で6週間の身体トレーニングを実施し,その前後に室温50℃の暑熱環境でトレッドミル歩行させて皮膚温,心拍数,直腸温の変化を観察した。

 

トレーニング前に暑熱環境で歩行すると直腸温は40℃近くまで上昇したが,トレーニング後の歩行では38.5℃前後で安定した。

同じく,心拍数はトレーニング前に約180拍/分まで増加したがトレーニング後には約150拍/分に,皮膚温はトレーニング前に38℃近くまで上昇したがトレーニング後には37℃を少し超える程度だった。

 

これらの結果は,身体トレーニングが暑熱環境で歩行したときの生体負担を軽減することを示している。

しかも,21℃という暑熱環境ではない身体トレーニングなので,身体トレーニングそのものの熱産生とそれに対する熱放散の働きが暑熱順化に寄与するものと解釈できる。

暑熱環境での身体トレーニングがよりいっそうの暑熱順化をもたらすと考えられるが,無理は禁物。

 

 

暑熱順化

春が来てやっと過ごしやすい気候になったかと思う間もなく夏が来てしまったが,その夏も暑くなるばかり。

急に客が来ると部屋が散らかっていて慌てることがあるように,急に夏が来ても私たちの体の暑さへの体制が整っていないと体調を崩すときがある。

 

何事にもそれなりの準備が大切。

やって来る夏の暑さについても,少しずつ慣れておくと耐えやすい。

最近はテレビや新聞でよく目にするようになったが,暑さへの慣れを暑熱順化という。

 

暑さに慣れるためには,体温が上がらないようにする熱放散の機能を高めておくといい。

代表的な熱放散の機能は発汗。

汗をかいて体表面から1グラムの水分が蒸発すると600カロリー近い気化熱が奪われるので,体を冷ますことができる。

また,暑いときは末梢血管を拡張して皮膚血流を増加させるという仕組みもある。

暖かい血液が皮膚の近くを流れると,放熱面積が広がるとともに外気温との温度勾配が大きくなるので体から熱を逃がしやすい。

 

このような熱放散の機能を効率よく働かせるためには,前もって暑熱環境に少しずつ体を慣らしておくといい。

そのためには,適度な運動や暑い環境で汗を流したり皮膚血管を拡張させたりすることが有効。

暑熱順化するには1~2週間かかるので,本格的な暑さがやって来る前の今頃,暑さに慣れさせるのがよさそう。

 

もちろん,暑い夏がやって来てから暑熱環境で生活しながら体を慣らしていきたいというのであれば,それもよし。

日本の面積も思っていたより広かった

スマホのニュースを眺めていて、なるほどと思う記事があった。

アフリカ西部にある国トーゴが国連に世界地図の投影法を変更する決議案を提出するという。

 

世界地図を描くとき、地球という球体から平面への投影法はといえば古くからメルカトル図法が有名。

現在も、標準的な投影法として世界中に普及している。

学校の地理の授業で習ったが、メルカトル図法は縦横の経度と緯度が等間隔に直交した平面に投影されるので、方角は正確だが面積は高緯度の地域になるほど実際より大きく描かれる。

 

トーゴをはじめとするアフリカの国々は、この投影法が他の大陸などと比較してアフリカ大陸の大きさを矮小化していることを問題視する。

低緯度にあるアフリカ大陸の地図は実際の大きさよりも小さく描かれるので、アフリカが政治経済的な重要性について過小評価されやすいことを懸念する。

このような地図上の偏見を解消しようと,アフリカ連合はCorrect The Mapキャンペーンを展開している。

 

メルカトル図法に代わるものとして提案されているのがイコールアース図法。

モルワイデ図法が正確な面積の地図を描く投影法(正積図法)として昔から知られているが,イコールアース図法がより歪の少ない正積図法として近年になって考案されている。

アフリカ連合のポスターにアフリカと諸外国の地図が正積図法で重ね合わされているが,アフリカ大陸は米国,中国,インドやヨーロッパ諸国を足し合わせても足りないくらい大きい。

アフリカ大陸,偉大なり!

 

試しに,正積図法のアプリ(TrueSize.net)を使って日本はどうなのか,世界の各地と比較してみた。

もっとも意外に思ったのは,ヨーロッパと比較してみたとき(下図)。

 

 

日本の領土はこんなに大きかったっけという小さな驚き。

西ヨーロッパを北から南まで縦断するほど長い。

領海や排他的経済水域まで含めると,西ヨーロッパを覆い尽くすくらい広い。

島国からなるアジアの小国と思っていたが,こうして世界地図を重ね合わせてみると日本の大きさに気づく。

 

ただ国土の面積の話というだけなのに,日本がなんとなく誇らしく思うのは私だけか。

注意しないといけない感覚なのかも知れないが。

五月の歌というよりも待ち遠しい春の方がふさわしい

通っているボイストレーニングの教室でモーツァルト作曲「五月の歌」を歌う。

歌うといっても,発声練習のために使うくらいだが。

この歌は戦後間もない頃,青柳善吾の作詞で小学校の音楽教科書に掲載されたもの。

歌詞は以下の通り。

 

楽しや五月 草木はもえ
小川の岸に すみれにおう
やさしき花を 見つつ行けば
心もかろし そぞろあるき

うれしや五月 日影ははえ
わか葉の森に 小鳥歌う
そよ風わたる 木かげ行けば
心もすずし そぞろあるき

 

ただし,原曲の歌詞はドイツの詩人クリスチャン・アドルフ・オーバーベックの詩集から採用されていて,曲名は「春への憧れ」。

青柳の「五月の歌」の歌詞とは趣が少し異なる。

原曲はドイツリートなので,ひとまず人工知能(ChatGPT)の力を借りて歌詞をそっくり英語に変換すると以下の通り。

 

Longing for Spring

Come, dear May, and make the trees green again,
and let the little violets bloom for me by the brook!
How I would so dearly love to see a violet again,
ah, dear May, how gladly I would go for a walk once more!

It is true that winter days also have many joys:
one can romp about in the snow and play many evening games,
build little houses out of cards, play blind man’s buff and forfeits,
and there are also sleigh rides out into the dear open countryside.

But when the birds sing and we then, happy and lively,
jump upon the green grass, that is another thing entirely!
Now my little hobby horse must stand there in the corner,
for outside in the little garden one cannot walk because of the mud.

Most of all, however, I pity little Lotte’s heartache;
the poor girl eagerly waits for the time of flowers.
In vain I bring her little games to pass the time;
she sits in her little chair like a chick in an egg.

Ah, if only it were already milder and greener outside!
Come, dear May — we children are begging ever so much!
Oh come, and above all bring us many violets,
bring also many nightingales and beautiful cuckoos.

 

以下が,私の和訳(意訳した部分もある)。

 

待ち遠しい春

早く来てほしい,大好きな五月,木々をまた緑にし,
私のために小川のほとりに小さなスミレを咲かせてください
どんなにスミレを見たいと思うことか,
ああ,大好きな五月,また散歩に出られたらどんなに嬉しいことか

冬の毎日にたくさんの楽しみがあるのも本当です
雪の上で走り回り,夕べにはいろいろなゲームをして,
カードで家を作ったり,目隠し遊びや罰ゲームをしたり,
そして,そりに乗って慣れ親しんだ野原に出かけたりもします

でも,鳥が鳴いたり,私たちが元気に緑の草原の上を飛び跳ねたりするのは,まったく別なことです
今は,私の小さな馬のおもちゃも部屋の隅に立てかけられたまま,
なぜかというと,外の小さな庭はぬかるんでいて歩けないから

でも,何といってもロッテちゃんが胸を痛めているのが可哀そうです
その可哀そうな女の子は花の季節をとっても待ち望んでいるから
時が過ぎるのを待つためにゲームの道具を持って行ってあげても無駄なこと
その子は卵の殻の中にいるヒナのように小さな椅子に座ったまま

ああ,外が暖かくなって葉が緑色になっていたらいいのに
早く来てほしい,大好きな五月,私たち子どもは強く願っています
どうか来てください,何よりもまずたくさんのスミレを運んできて,
そして,たくさんのナイチンゲール(小夜啼鳥)と美しいカッコウも連れてきて

 

原曲の歌詞からもわかるように,モーツァルトは春を待ちわびる子どもたちの気持ちを作曲している。

青柳の作詞した曲「五月の歌」はただ五月の情景だけを取り上げて歌にしている。

小学校の音楽教科書ということを意識して簡潔に作詞したのかも知れない。

原曲に忠実なことを良しとするならば,春が早く来てほしいと願う子どもたちのはやる心情を作詞してもよかったのではなかろうか。

 

 

遊書?

リタイアしてから市が運営するシニア対象のいろいろな教室に通っていることは、何度かこのブログに記してきた。

一年限りの教室で無料だから,気軽に参加できるのがいい。

人気の教室は抽選になるので希望通りにならないこともあるが,今春からは「遊書」の教室と「ボイストレーニング(中級)」の教室で学んでいる。

学んでいるというよりも,遊んでいるというのが正しいが。

 

特に,聞いたことのない「遊書」は初開講の教室。

担当の先生は毎週やってくれるということで気合が入っているみたいだし,書道の素養が無くてもよさそうだから試しに応募してみた。

その結果,通えるようになったが,十数人の生徒の中で男は私一人。

・・・。

若い人たちの集まりなら嬉しい気持ちになるのかも知れない。

 

ということで通い始めた「遊書」の教室。

先生は話好きなようで,たいしたことも教わっていない気がするが,夏の終わり頃に「遊書」の作品を展示するという。

・・・エエッ!!

 

そもそも,どんな作品にすればいいのか見当がつかないので,人工知能(ChatGPT)に聞いてみた。

人工知能が語るには,「遊書」の作品は自由な発想や遊び心を取り入れた書のスタイルで,上手さよりも個性や楽しさが重視されるという。

作品として代表的なものが以下のように示されている。

 

(1)ことわざや名言,日常の一言をユーモラスに表現。

(2)簡単なイラストと文字を組み合わせる(絵手紙風)。

(3)文字を図案のように配置して,ポスターやロゴのように見せる。

(4)自作の詩や短い文章をリズムや余白を生かして書く。

(5)年賀状,暑中見舞い,季節の挨拶など。

(6)文字として読めるかどうかよりも,線や形の美しさを重視する抽象的でアート寄りの作品。

 

とりあえず、(1)の路線で名言について考えてみたが、そのままだと面白くないのでパロディにしてみようと思うがどうだろうか。

例えば、相田みつをの「つまづいたっていいじゃないか、人間だもの」を「つまづいたっていいじゃないか、年寄りだもの」にするとか。

金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」を「みんないっしょで、みんなこわい」にするとか。

 

・・・・・。

どんな作品にするか、目下、思案中。