シニアがブログでモノローグ

このままでは年を取って死ぬだけ。ブログでもやってみよう。

小柄な日本人に島嶼(とうしょ)化の影響はあるか

前回のサッカーのブログで記した小柄な日本人。

欧米人と比較したときだけではない。

最近は街に出てすれ違う中国人や韓国人とおぼしきインバウンドと比較してもそう感じる。(実際にいくつかの身長測定資料をみても、日本人成年男子の平均身長は中国人や韓国人より低い)

どうして日本人は小柄なのか。

 

生物の進化の仕方を説明する、島嶼(とうしょ)化という用語がある。

島嶼の島は比較的大きな島,嶼は小さな島や岩礁。

両方を合わせて、大小の島々という意味。

島嶼化というのは,大陸から切り離されて閉ざされている島々では動物の大きさが大陸の近縁種とは異なる大きさに進化する現象。

大きな動物は島の限られた食糧で生存するためにエネルギー消費が少なくて済むよう体が小さくなり、小さな動物は島に天敵がいなくなると素早く動き回る必要がないので体が大きくなるらしい。

 

例えば、インドネシアのフローレス島に数万年前まで暮らしていたホモ属で身長が1m程度のフローレス人は、隔離された島に住んで体が小さくなったという。

同じくインドネシアの島々に住んでいる爬虫類で体長が2,3mのコモドオオトカゲは、もともと小さなトカゲが島嶼化で大きくなったという。

 

一万年以上前に間氷期を迎えて海面が上昇し,歩いては大陸と行き来ができなくなった日本列島。

当然,そこに住む日本人の体格にも島嶼化という淘汰圧が働いたのではないかと考える人がいる。

またその一方で,大陸と隔離されたとはいうものの日本列島を島嶼と呼ぶには広すぎるのではないかと考える人もいる。

体格にはそれぞれの地域の食文化で培われた栄養の取り方も影響する。

小柄な日本人に島嶼化の影響があるのかどうかは判然としない。

 

体格には気候も影響する。

いわゆるベルグマンの法則があって、寒冷地に住む人類集団は体が大きい傾向にある。

(本ブログ2020年10月21日付「寒さへの適応戦略」を参照)

日本人のルーツとなる縄文人の多くはもともと温暖な気候の南方からやって来た人類集団。

同じアジア人であっても寒冷なユーラシア大陸由来の中国人や韓国人より日本人が小柄なことに影響していないか。

 

 

サッカーワールドカップを見て思う日本人選手

サッカーワールドカップも決勝トーナメントに進出する国が決まり、佳境を迎えようとしている。

日本も進出できるようになったが、最初の相手がサッカー王国ブラジルだから負けてもおかしくはない。

思いっきりやれるのではないか。

 

予選のリーグ戦で日本はオランダやスウェーデンと対戦したが、日本人選手の体格は小さ目。

昔より大型化したのかも知れないが、ヨーロッパの彼らはそれを上回る。

体と体がぶつかり合うコンタクトスポーツでは、大型の選手の方が有利。

つぶしに来た大柄なオランダ人選手の犠牲になったのは小柄な久保。

スウェーデンはロングパスでボールを高く上げ、空中戦で彼らの身長の高さを生かそうとしてきた。

 

北欧の人たちは身長が特に高い。

オランダ人男性の平均身長が最も高く180cmを超える。

日本人男性より約10cm高い。

 

身長だけではない。

筋肉量も欧米人はアジア人より多い。

医療機器での測定結果を利用して、世界各国の両腕と両脚の筋肉量が比較されている。

その数値(骨格筋指数)を見ると、日本人の筋肉量は最も少ない。

そのせいかどうかわからないが、相手陣地でペナルティエリア外から打つ日本人選手のミドルシュートに強烈さが欠けていないか(打たないことの方が多いが)。

 

・・・・・。

ここでフィジカルの不利を嘆いていてもしょうがない。

よくいわれているように、日本代表の強みは組織として展開する力。

巧みに集団として協力しあいながら守り、攻めるということか。

サッカー戦術のことはわからないが、イレブンが連携してパスを重ね、相手の空いたスペースから攻め込むような戦い方が得意と聞く。

 

間もなく行われる対ブラジル戦は、集団の日本と個人技のブラジルの戦いか。

ブラジルの強さにあこがれるのは止めよう。

あこがれると超えられない(どこかで聞いた言葉)。

 

サッカーワールドカップ北中米大会でテレビは賑わう

今月に入ってサッカーワールドカップの北中米大会が始まる。

日本のテレビ番組は毎日,この話題で持ち切り。

4年に一回だけ,サッカーはプロ野球よりもはるかに注目される。

野球の世界大会(WBC)が開催されるときも騒がれるが,世界中に普及して関心が寄せられるサッカーにはかなわない。

 

ということで,昨日行われた日本対チュニジア戦の感想を記しておこう。

グループリーグでランキング最下位のチュニジアには勝っておかないと決勝トーナメント進出が危うくなりそうなので,観戦する側も少し力が入る。

チュニジアには,監督が交代して何をしてくるかわからない不気味さがある。

 

試合を見始めて間もなく,日本に先取点が入ったのには歓喜。

相手ゴールに詰めた鎌田選手のヒールキックなのか偶然に脚に当たっただけなのかわからないが、センタリングされたボールはゴールポストの中に。

点が入れば何でもいい。

ここ見ている側は、さらに追加点が欲しいという気持ちに切り替わる。

1点だけでは心もとない。

 

そうこうしているうちに,今度はフォワードの上田選手が相手の股を抜くミドルシュートで2点目が入る。

ワールドカップに参加し始めた頃の日本は,相手ゴールのペナルティーエリア内に入ってさえもパスを回し続けるようなことが多かったのに。

シュートを打ってもゴールポストの枠外にボールが飛んでいくことが多かったのに。

 

今は日本代表の選手たちのほとんどが海外のチームに在籍。

ただ在籍しているだけではなく活躍しているのだから時代は変わった。

海外の選手を相手にしながらテクニックやフィジカルを向上させたのだろう。

代表的な選手たち数人がケガで欠けてしまっても戦えるのだから、選手層も厚そうだ。

 

対チュニジア戦の後半も2点を追加し、結局、4対0で日本が勝利した。

このような試合運びが次戦の対スウェーデン戦でもできれば、決勝トーナメントに進んでもいいところまで行けそうなのだが。

簡単に行きそうにないが、選手たちは優勝を目指すというのだからメンタルも大したものだ。

 

 

 

 

暑熱順化のつづき

前回のブログで夏の暑さに慣れる暑熱順化について記したが,暑さに慣れるというのはどういうことなのか。

もう半世紀以上前になるが,学生時代に習った教科書に記述されていたことを思い出す。

アメリカで実施された先行研究の文献を引用し,暑熱順化を説明しているページだ。

詳細なことはすっかり忘れているので,教科書を見返してみる。

 

その文献では,暑さへの慣れを生体負担が軽減されることとしてとらえている。

生体負担の指標としては,皮膚温,心拍数,体温(直腸温)を測定。

暑熱順化させる方法として身体トレーニングを試みている。

気温が21℃の屋外で6週間の身体トレーニングを実施し,その前後に室温50℃の暑熱環境でトレッドミル歩行させて皮膚温,心拍数,直腸温の変化を観察した。

 

トレーニング前に暑熱環境で歩行すると直腸温は40℃近くまで上昇したが,トレーニング後の歩行では38.5℃前後で安定した。

同じく,心拍数はトレーニング前に約180拍/分まで増加したがトレーニング後には約150拍/分に,皮膚温はトレーニング前に38℃近くまで上昇したがトレーニング後には37℃を少し超える程度だった。

 

これらの結果は,身体トレーニングが暑熱環境で歩行したときの生体負担を軽減することを示している。

しかも,21℃という暑熱環境ではない身体トレーニングなので,身体トレーニングそのものの熱産生とそれに対する熱放散の働きが暑熱順化に寄与するものと解釈できる。

暑熱環境での身体トレーニングがよりいっそうの暑熱順化をもたらすと考えられるが,無理は禁物。

 

 

暑熱順化

春が来てやっと過ごしやすい気候になったかと思う間もなく夏が来てしまったが,その夏も暑くなるばかり。

急に客が来ると部屋が散らかっていて慌てることがあるように,急に夏が来ても私たちの体の暑さへの体制が整っていないと体調を崩すときがある。

 

何事にもそれなりの準備が大切。

やって来る夏の暑さについても,少しずつ慣れておくと耐えやすい。

最近はテレビや新聞でよく目にするようになったが,暑さへの慣れを暑熱順化という。

 

暑さに慣れるためには,体温が上がらないようにする熱放散の機能を高めておくといい。

代表的な熱放散の機能は発汗。

汗をかいて体表面から1グラムの水分が蒸発すると600カロリー近い気化熱が奪われるので,体を冷ますことができる。

また,暑いときは末梢血管を拡張して皮膚血流を増加させるという仕組みもある。

暖かい血液が皮膚の近くを流れると,放熱面積が広がるとともに外気温との温度勾配が大きくなるので体から熱を逃がしやすい。

 

このような熱放散の機能を効率よく働かせるためには,前もって暑熱環境に少しずつ体を慣らしておくといい。

そのためには,適度な運動や暑い環境で汗を流したり皮膚血管を拡張させたりすることが有効。

暑熱順化するには1~2週間かかるので,本格的な暑さがやって来る前の今頃,暑さに慣れさせるのがよさそう。

 

もちろん,暑い夏がやって来てから暑熱環境で生活しながら体を慣らしていきたいというのであれば,それもよし。

日本の面積も思っていたより広かった

スマホのニュースを眺めていて、なるほどと思う記事があった。

アフリカ西部にある国トーゴが国連に世界地図の投影法を変更する決議案を提出するという。

 

世界地図を描くとき、地球という球体から平面への投影法はといえば古くからメルカトル図法が有名。

現在も、標準的な投影法として世界中に普及している。

学校の地理の授業で習ったが、メルカトル図法は縦横の経度と緯度が等間隔に直交した平面に投影されるので、方角は正確だが面積は高緯度の地域になるほど実際より大きく描かれる。

 

トーゴをはじめとするアフリカの国々は、この投影法が他の大陸などと比較してアフリカ大陸の大きさを矮小化していることを問題視する。

低緯度にあるアフリカ大陸の地図は実際の大きさよりも小さく描かれるので、アフリカが政治経済的な重要性について過小評価されやすいことを懸念する。

このような地図上の偏見を解消しようと,アフリカ連合はCorrect The Mapキャンペーンを展開している。

 

メルカトル図法に代わるものとして提案されているのがイコールアース図法。

モルワイデ図法が正確な面積の地図を描く投影法(正積図法)として昔から知られているが,イコールアース図法がより歪の少ない正積図法として近年になって考案されている。

アフリカ連合のポスターにアフリカと諸外国の地図が正積図法で重ね合わされているが,アフリカ大陸は米国,中国,インドやヨーロッパ諸国を足し合わせても足りないくらい大きい。

アフリカ大陸,偉大なり!

 

試しに,正積図法のアプリ(TrueSize.net)を使って日本はどうなのか,世界の各地と比較してみた。

もっとも意外に思ったのは,ヨーロッパと比較してみたとき(下図)。

 

 

日本の領土はこんなに大きかったっけという小さな驚き。

西ヨーロッパを北から南まで縦断するほど長い。

領海や排他的経済水域まで含めると,西ヨーロッパを覆い尽くすくらい広い。

島国からなるアジアの小国と思っていたが,こうして世界地図を重ね合わせてみると日本の大きさに気づく。

 

ただ国土の面積の話というだけなのに,日本がなんとなく誇らしく思うのは私だけか。

注意しないといけない感覚なのかも知れないが。

五月の歌というよりも待ち遠しい春の方がふさわしい

通っているボイストレーニングの教室でモーツァルト作曲「五月の歌」を歌う。

歌うといっても,発声練習のために使うくらいだが。

この歌は戦後間もない頃,青柳善吾の作詞で小学校の音楽教科書に掲載されたもの。

歌詞は以下の通り。

 

楽しや五月 草木はもえ
小川の岸に すみれにおう
やさしき花を 見つつ行けば
心もかろし そぞろあるき

うれしや五月 日影ははえ
わか葉の森に 小鳥歌う
そよ風わたる 木かげ行けば
心もすずし そぞろあるき

 

ただし,原曲の歌詞はドイツの詩人クリスチャン・アドルフ・オーバーベックの詩集から採用されていて,曲名は「春への憧れ」。

青柳の「五月の歌」の歌詞とは趣が少し異なる。

原曲はドイツリートなので,ひとまず人工知能(ChatGPT)の力を借りて歌詞をそっくり英語に変換すると以下の通り。

 

Longing for Spring

Come, dear May, and make the trees green again,
and let the little violets bloom for me by the brook!
How I would so dearly love to see a violet again,
ah, dear May, how gladly I would go for a walk once more!

It is true that winter days also have many joys:
one can romp about in the snow and play many evening games,
build little houses out of cards, play blind man’s buff and forfeits,
and there are also sleigh rides out into the dear open countryside.

But when the birds sing and we then, happy and lively,
jump upon the green grass, that is another thing entirely!
Now my little hobby horse must stand there in the corner,
for outside in the little garden one cannot walk because of the mud.

Most of all, however, I pity little Lotte’s heartache;
the poor girl eagerly waits for the time of flowers.
In vain I bring her little games to pass the time;
she sits in her little chair like a chick in an egg.

Ah, if only it were already milder and greener outside!
Come, dear May — we children are begging ever so much!
Oh come, and above all bring us many violets,
bring also many nightingales and beautiful cuckoos.

 

以下が,私の和訳(意訳した部分もある)。

 

待ち遠しい春

早く来てほしい,大好きな五月,木々をまた緑にし,
私のために小川のほとりに小さなスミレを咲かせてください
どんなにスミレを見たいと思うことか,
ああ,大好きな五月,また散歩に出られたらどんなに嬉しいことか

冬の毎日にたくさんの楽しみがあるのも本当です
雪の上で走り回り,夕べにはいろいろなゲームをして,
カードで家を作ったり,目隠し遊びや罰ゲームをしたり,
そして,そりに乗って慣れ親しんだ野原に出かけたりもします

でも,鳥が鳴いたり,私たちが元気に緑の草原の上を飛び跳ねたりするのは,まったく別なことです
今は,私の小さな馬のおもちゃも部屋の隅に立てかけられたまま,
なぜかというと,外の小さな庭はぬかるんでいて歩けないから

でも,何といってもロッテちゃんが胸を痛めているのが可哀そうです
その可哀そうな女の子は花の季節をとっても待ち望んでいるから
時が過ぎるのを待つためにゲームの道具を持って行ってあげても無駄なこと
その子は卵の殻の中にいるヒナのように小さな椅子に座ったまま

ああ,外が暖かくなって葉が緑色になっていたらいいのに
早く来てほしい,大好きな五月,私たち子どもは強く願っています
どうか来てください,何よりもまずたくさんのスミレを運んできて,
そして,たくさんのナイチンゲール(小夜啼鳥)と美しいカッコウも連れてきて

 

原曲の歌詞からもわかるように,モーツァルトは春を待ちわびる子どもたちの気持ちを作曲している。

青柳の作詞した曲「五月の歌」はただ五月の情景だけを取り上げて歌にしている。

小学校の音楽教科書ということを意識して簡潔に作詞したのかも知れない。

原曲に忠実なことを良しとするならば,春が早く来てほしいと願う子どもたちのはやる心情を作詞してもよかったのではなかろうか。