シニアがブログでモノローグ

このままでは年を取って死ぬだけ。ブログでもやってみよう。

勿体ない(MOTTAINAI)

前回のブログで,捨てたいのに捨てられないでいる物がある理由として「勿体ない」と思う気持ちがあることを記した。

物を大切にしたいという気持ちだ。

 

この「勿体ない」という言葉に感銘したのがノーベル平和賞受賞者で環境保護活動家のワンガリ・マータイさん(ケニア人女性)。

彼女は,日本語以外に同じような意味を持つ言葉がないので,そのまま「MOTTAINAI」と横文字にして世界に広めようと活動を始めた。

MOTTAINAI」には,Reduce(ゴミ削減),Reuse(再利用),Recycle(再資源化)という環境保護活動のほかに,かけがえのない地球資源をRespect(尊敬)する意味を込めた。

マータイさんの死後もこの活動は続いている。

 

大量生産,大量消費,大量廃棄が地球資源の枯渇や有害物質の排出をもたらしたことについて,私たちはその対策に真剣に取り組まねばならない。

その一つが,これまでの使い捨て型のライフスタイルの見直しだ。

ゴミの排出をできるだけ抑え,使えるものは繰り返し使い,再使用できなくなったものは資源として生まれ変わらせる循環型社会が志向されねばならない。

 

マータイさんらの活動の以前に,日本では2000年(平成12年)を循環型社会元年と位置づけ,循環型社会形成推進基本法が公布されている。

各種のリサイクル法(容器包装リサイクル法,家電リサイクル法,建設資材リサイクル法,食品リサイクル法,自動車リサイクル法)は,この基本法にしたがって制定されたもの。

捨てたい物

捨てたいものには有形,無形のものがあるが,ここでは前者。

つまり,捨てたい昔の記憶とかではなく,物品。

しかも,捨てたいというからには,まだ,捨てられていないということ。

捨てるための時間がとれないでいる場合もあるだろうが,多くの場合は捨てるに捨てられない状態にある物。

 

自分の持ち物について,しばし考えてみる。

・・・。

あるある,幾つかの捨てたい物が。

 

まずは,現役時代に着ていたブレザーやスーツやワイシャツ。

タンスの中に眠ったまま。

リタイアしてからは,ほとんど着ていない。

ブレザーとワイシャツで出かける集会もたまにはあるが,何着もいらない。

スーツなどは何組かお店に引き取ってもらったが,まだ,ちょっぴり高価だったりして捨てられないでいる服がある。

 

2つ目は,講義に使った資料。

作成したプリントや雑誌文献や参考にした書籍。

リタイアしたときに大量に処分したが,まだ,残しているものがある。

今さら,読み返したりしないのに。

 

3つ目は,日記。

働いているときは,日記をつけても三日坊主で終わっていた。

ところがリタイア後,このままでは漠然と日々を過ごしていつの間にか死んでしまうということへの危機感から,ほんの数行ではあるが日記をつけ始めた。

しかも,令和の時代になってからというもの、毎日、欠かさず日記をつけている。

自分で自分をほめてやりたい。

とはいっても,考えてみるに,書いた日記をこれから一体どうするというのだ。

読み返してみるほどの内容はない。

かといって,他人には見られたくないので簡単に捨てられない。

 

他にも探せば捨てたい物は出てきそう。

しかし,これらの捨てたい物が捨てられないでいる共通の理由がありそう。

・・・。

私の場合も,やはり「もったいない」という気持ちが大きいような気がする。

「もったい」は漢字で書くと、勿体とか物体。

意味はいろいろあるようだが、価値あるものと解釈するとわかりやすい。

例えば、「もったいぶる」というのは、価値があるようにみせかけることだと理解できる。

 

「勿体ない」は「勿体」が「ない」と否定する訳だから、価値がないということ。

価値がなくなることを惜しむ気持ちを表現する言葉となっている。

 

元に戻ると、捨てるに捨てられない物は、捨てると勿体ないのか。

本当に価値ある物なのか。

言い換えると、有用なのか、役立っているのか。

そうでなければ、捨てても勿体なくはない。

 

あらためて考えてみた結果、現役時代に着ていた上着と、つけてきた日記は捨てても勿体なくはない。

早晩、意を決して捨てよう。

 

講義に使った資料は、昔、費やした労力をしのぶよすがにしたいので、まだ捨てないでおこう。

死ぬまでには捨てたいが、今、捨てると私の過去がなくなるような気がする。

 

 

 

単純形副詞

またまた,歌での話。

今,通っているカラオケの集まりで ”ラブミーテンダー” を歌うようになったときのこと。

エルビス・プレスリーが歌うと様になるが,恥ずかしいくらいに甘いことばがささやかれている。

ゆっくりとした曲なので,英語で歌ってもメロディーの流れについていける。

 

♫ Love me tender~, love me sweet~, never let me go~

・・・・・。

しばらく歌ってみて気づく。

文法的には,Love me tenderlyではないのか,love me sweetlyではないのかという疑問。

言い換えると,「愛する」という行為は動詞だから,それを修飾する「優しく」や「甘く」は副詞にしないといけないのではないかという疑問。

 

数十年にわたって ”ラブミーテンダー” と歌っているのだから全然おかしくないのだろうが,その理由が知りたくてネットで調べてみた。

すると,いるいる,私と似たような疑問を持って調べた方々が。

 

”ラブミーテンダー” の歌詞の中でのtenderやsweetは形容詞の副詞的用法で,文法用語では単純形副詞 flat adverb という。

flat adverb について,ブリタニカの辞書の編集者が slow と slowly の違いについて以下のように説明している。

 

Usually slow is used as an adjective and slowly is used as an adverb, but slow can also be used as an adverb. When an adverb does not have the usual -ly ending it is called a flat adverb or plain adverb and it looks the same as its adjective form.

English teachers will tell you to use slow as an adjective and add -ly when making it an adverb, but in casual speech, informal writing (such as text messages or e-mails to a friend), and even some formal writing slow is often used as an adverb. (Note: Slowly is never used as an adjective.)

Not all flat adverbs have an -ly form (for example, soon is both an adjective and an adverb, and soonly is not a word), but when they do have an -ly form, that is what is preferred by English teachers in formal writing. Below are some example sentences showing how slow and slowly are used.

(以下,省略)

 

要は,-ly をつけて副詞になる形容詞はそのままでも副詞的用法として使え,カジュアルな会話やインフォーマルな文書(ショートメールや電子メールなど)でよく使われているということ。

 

だから、ときどき目にしていたが、Think global, act local と言うのか。

歌は勉強になります。

 

歌でリエゾン

歌の話が続く.。

カラオケの教室の参加者には高年者が多いが、ときどき英語で歌う。

半世紀以上、英語から離れている方もいそうなのに、歌いたいという希望者がいる。

カラオケの先生も苦渋の選曲か。

 

洋楽でカーペンターズの「Close to you」を歌うときのこと。

英語の歌詞は、超美男子が町にいて、そこら辺の女子たちが「そばにいたいわァ~」と繰り返す内容。

歌詞の中に、この超美男子が誕生するときに天使たちが話し合って、「金髪に月の粉を、青い目に星の輝きを散りばめた」というメルヘンチックな部分がある。

しかし、このくだりがテンポが速くてメロディーに歌詞を乗せようとしても追いつかない。

普通に英単語を発音していては到底、無理。

 

・・・・・。

カーペンターズが歌っているのをまねするしかない。

ソーデ、スプリンクムーン、ダスティニュヘー、ラブゴーダ、スターライン、ヨーライザブルー

(So they sprinkled moon dust in your hair of gold, and starlight in your eyes of blue.  )

 

つまり、リエゾンして歌わなけれなならないということ。

となりあう単語と単語を連結して発音する。

連結したときの発音の仕方には以下のようなものがある。

 

連結 (linking):隣同士の音がくっつく

脱落 (reduction):音が発音されない

同化 (assimilation);2つの音がくっついて別の音になる
はじき音 (flapping):tやdがラ行の音になる

短縮 (contruction):単語が弱く短く発音される

※それぞれの具体例については、スマホなどで簡単に調べられる。

 

上記のカタカナの歌詞はカッコ内の英語がリエゾンされて聞こえてくる音を書いたもの。

ネイティブの方々の英語は歌にしろ会話にしろ早口で、リエゾンするので聞き取りにくい。

慣れてくると英会話も上達するというけど・・・。

 

歌の身体影響

音楽を聴くことが気持ちいいのは,みんなそれとなく知っている。

科学的にも精神や身体に効果があるとされている。

音楽療法というやり方もある。

 

音楽を聴くことだけでなく,歌うこと(歌)についてもそうだ。

歌っていても,カラダにいいんじゃないかと感覚的に思う。

まず,歌うにはある程度の音量が必要だ。

そのためには腹式呼吸で呼出するときに声帯を振動させないといけないから,横隔膜を強く収縮させる必要がある。

歌は呼吸機能を高めてくれるだろう。

うつむかないように姿勢もよくしないといけない。

 

声帯そのものに働きかける筋には内喉頭筋群があるが,ものを飲み込む嚥下機能にも関係している。

嚥下機能がうまく作用しないと,飲み込んだものが気道に入り込んで誤嚥性肺炎を起こしたりする。

日本人の死亡原因で多いのはがん,心臓病,そして3番目に多いのが肺炎。

その大部分は高齢者の誤嚥性肺炎。

歌うことは嚥下機能のトレーニングになる。

 

声帯の振動を共鳴させるには咽頭腔や口腔を広げるために表情筋を使う。

卵が一つ入るくらいに口を開けると共鳴腔が広がるらしいが,そのようにして表情筋を使うことは話し言葉の発音を円滑にするトレーニングにもなるだろう。

 

そのときの自分が置かれている状況に応じて,好みの曲を歌ったり聴いたりしたいときがある。

きっと,歌が生理的にも交感神経や副交感神経の優位性に影響したり,内分泌系のストレスホルモンや脳内神経伝達物質の動態に影響しているのだろう。

実験的にも調べられている。

 

幼い頃に口ずさんでいたり聴いたりしていた歌に出会うと,その頃の記憶がよみがえる。

懐かしかったり癒されたり。

・・・・・。

たかが歌,されど歌とでもいうべきか。

 

 

 

歌の起源

歌にもいろいろある。

詩歌もあるし、小鳥が歌う歌もある。

しかし、カラオケの集まりに参加している近頃の私にとって、歌といえば歌謡曲やポピュラーソングのような歌のこと。


短歌や詩を作る方々は異を唱えるかもしれないが、一般的に歌といえば、歌詞のある音楽としての歌を指す。

感情を歌に託している。

気持ちを「訴ふ(訴える)」が変化して「歌う」という言葉が生まれたと考える先人もいる。

 

このような歌はいつから歌われているのか。

当然、歌詞があるからには言語が獲得されてからのことだろう。

ところが、この言語を獲得したのがいつ頃かがはっきりしていない。

人類が誕生してからのことではあるが。

 

発声器としての声帯は哺乳類でよく発達しているが、発生した音を言語にするには巧妙に操られる声帯と共鳴空間が必要だ。

息を吐きだすときに気道上部にある声門が閉じて声帯を振動させ、音が生じる。

人類が直立したことが影響して声帯が下降したので、その上にある咽頭腔が広がって共鳴させやすくなった。

 

共鳴空間が広がると,より低い音が出せるようになり,その倍音の高い音も出せるようになって音域が広がった。

人類は集団で生活し,コミュニケーションをとるうえで音域の拡大は役立っただろう。

近年の研究では、霊長類にある声帯膜がヒトでは消失し、声帯膜の振動が声帯の振動を邪魔することがなくなったという。

 

言語能力は段階的に発達するから,言語を獲得したのがいつ頃かを特定するのは難しい。

少なくとも現生人類の出現した20万年前頃には何らかの言語らしきものは発語していただろう。

何をもって歌とするのかということもあるが,いつのときか言語を獲得した人類はそれに旋律やリズムをつけて歌うようになったのではないか。

 

声のいい人は声帯の振動をうまく共鳴させて歌う。

そのためには共鳴空間である咽頭腔、口腔、鼻腔を広くすることが望ましい。

「あくび」をするときのような口の開け方をするといいらしい。

腹式呼吸で息を吐きだし、力強く声帯を振動させることも大切だ。

なぜ歌ったりするのか

先日のブログ(2024年5月5日付「土曜日はカラオケ」)でカラオケの集まりに参加していることを記した。

通っているうちに、なぜみんな歌おうと集まってくるのかという思いに至った。

 

どうして歌いたいのか。

・・・・・。

よくわからないので、人工知能(AI, chatGPT)に聞いてみた。

以下が、そのやりとり。

 

(私からの質問)
私たちはなぜ歌ったりするのですか。

人工知能からの回答)

歌うことは、人類が非常に古い時代から行ってきた行為です。歌う理由は多岐にわたりますが、いくつかの主な理由は以下の通りです:

1.表現とコミュニケーション: 歌は感情や思想を表現し、他の人々とコミュニケーションを取る手段として機能します。歌詞や旋律を通じて、個人の感情やメッセージを共有し、他の人々とつながりを築くことができます。

2.儀式や儀式的な行事: 多くの文化では、歌は儀式や祭りの一部として用いられます。歌は、宗教的な儀式や祝祭、結婚式、葬式などの特別な行事で重要な役割を果たします。これらの歌は、共同体のアイデンティティや結束を強化するために使用されることがあります。

3.娯楽と楽しみ: 歌は楽しみや娯楽の一形態としても機能します。コンサート、カラオケ、音楽祭など、歌を通じて楽しむイベントが世界中で開催されています。音楽は人々に喜びや楽しみをもたらし、ストレスを軽減するのに役立つことがあります。

4.文化と伝統の継承: 歌は文化や伝統を次世代に伝える手段としても重要です。歴史的な歌や民族音楽は、その文化や社会の価値観、歴史、物語を伝えるために使用されます。これらの歌は、特定の文化や社会のアイデンティティを維持し、次世代に受け継がれることが期待されています。

これらは歌が持つ主な理由の一部ですが、人々が歌う理由はさまざまであり、個々の文化や個人の経験によって異なります。

 

以上が人工知能からの回答。

最後の2行は人工知能の回答がすべて正しいとは限らないよという責任逃れ的な文になっているが、まあ、そうだろう。

 

回答を参考にすると、歌う理由として最も大きな理由は、一番目の理由の歌詞や旋律を通じて感情表現をしたい(コミュニケーションしたい)ということではなかろうか。

そのような感情表現をみんなで味わって楽しんでいるのがカラオケか。

 

歌詞の内容に感情移入しながら歌を楽しんでいる自分は、まさに歌う理由に添っているのではないかと思う。