シニアがブログでモノローグ

このままでは年を取って死ぬだけ。ブログでもやってみよう。

自宅(手元)供養にでもしてもらうか

前回のブログでエンディングノートについて記した。

プライベートな文書だが、自分が死んだときの弔い方をどうしてもらいたいかなどは,このブログで触れてみてもいい話題だろう。

 

私の故郷には先祖代々の墓がある。

墓があるのは故郷の高台にある臨済宗のお寺。

ときどき,母と一緒に墓掃除に行った。

墓を前にして、母は私に「死んだときはこの墓に入ればいい。」と言っていた。

若かった私は,そうするかと気軽に考えていた。

 

その後,故郷を離れ,家庭を持ったりして幾星霜。

私(三男)の両親は既に亡くなり,墓を引き継いだ長男家は,実質,長男の子が墓守をしている。

・・・・・。

何となく,気軽には故郷の墓に入りづらい。

私の家族のこともある。

 

ということで,自分の供養の仕方はちょっと考えた方がよさそうだ。

世の中の賢明な方々は早々とこんなことに気づいていて,きっと準備はできているに違いない。

 

遅まきながら、考えないといけないのは自分の墓を持つか否かということか。

・・・・・。

私は墓などいらない。

 

宗教心がないからかも知れないが、墓に入れられて供養してもらおうとは思わない。

家族も法事などでお寺とやり取りしなくて済むので,その方が気楽ではないか。

 

私たちは地球から生まれて地球に還る(2020年10月16日付のブログ「千の風」をご参照あれ)。

自然に還る散骨も考えないではないが、それなりの許可や手続きが必要だ。

 

ということで今、考えているのは遺灰を壷に入れて自宅に置いてもらい、私を偲ぶよすがにしてもらうこと。

インテリア風の壷もある。

遺灰を分けて装飾品に入れることもできる。

自宅(手元)供養というらしい。

ゆくゆくは親身に供養する人もいなくなるだろうから,その前に遺灰は好きにしてもらおう。

 

そのときは,できれば自然に還りたい。

家族には話をしていないので、何といわれるか分からないが。

 

今、この地上で元気に生きている人たち。

あと100年もすればほとんどいなくなる。

諸行無常