前回のブログで,故郷で千の風のように風に吹かれてみたいと記した。
以下は歌「千の風」の歌詞の一部だ。
私のお墓の前で泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
(中略)
千の風になってあの大きな空を吹きわたっています
亡くなった人の痕跡をたどると,やはりお墓の中には遺灰があるから,まったく「そこに私はいません」ということにはならないのではないか。
それ以外の痕跡は,火葬時に大気中に拡散した人体の構成元素だろう。
そういう意味では,「大きな空を吹きわたっています」というのは間違っていない。
人体の構成元素のうち,例えば炭素に注目すると,体重に対する割合は約20%だ。
体重50kgとすると,炭素の重さは10kgになる。
炭素原子の個数でいうと,6×10の23乗個が12gだから,10kgのときはその約833倍になる。
これだけの膨大な数の炭素原子が火葬で完全燃焼した場合,二酸化炭素となって大気中に拡散する。
かりに地球を取り巻く高度10kmあたりまでの対流圏全体に拡散したとしても、私たちの身のまわりの1立方kmあたりに10の何乗個ものその人の炭素原子が存在する計算になる。
このように、亡くなった人の構成元素に注目すると,その人が「大きな空を吹きわたっています」という気持ちになっておかしくはない。
二酸化炭素の場合はその一部が光合成によって植物に取り込まれる。
植物は草食動物に摂取される。
というように亡くなった人の構成元素は次々と広がっていき、およそ地球に存在するものすべてに宿る。
私たちは地球から生まれて、地球に還る。