リタイアしてから今年の3月末まで,丸5年が過ぎた。
平成30年3月31日付で退職辞令をいただいている。
その後年に御代が変わって令和になったり,その令和も5月1日から始まったりでリタイアして何年たったか私の頭では計算しづらい。
この際,和暦ではなく西暦ではっきりさせておこう。
2018年3月31日に退職辞令をいただいているから,その5年後は2023年3月31日ということになる。
5年前までは北国にある国立大学法人に長年お世話になり,生活の糧を得ていた。
その大学に赴任するまでは,東京の私学の医学部に在籍していた。
学位をいただいた後,さあ,これからどうしようかと考えていたところに知人の先生から移籍の誘いがあった。
教育経験は乏しかったが,大学院を発足させるための人材を探しているという追い風もあって採用していただいた。
私も妻も南国出身で,雪が降った時の北国での生活がどういうものなのか見当がつかないまま北国に足を踏み入れた。
着任して早々,現地に長年暮らすお年寄りから「こちらの冬が越せるかねえ」としみじみ言われたときは少しだけ気になった。
幸いにも一年目は例年になく積雪の少ない冬ではあったが,無事に過ごすことができて自信がついた。
しかし,大学での生活はそれまでと違い,カルチャーショックを受けた。
その一つは,医学部では教授以下,助手や研修医に至るまでヒエラルキーのある職場であったが,赴任した学部では職階をあまり意識することなくお互いが対等に発言していたからだ。
幸か不幸か,しばしば決着をみない長時間の議論が続いていた。
また,大学での教養教育も同僚たちが掛け持ちしていたのだ。
教養教育に携わってみると,それまでは専門教育に身を置いていた私にも考えさせられることがあった。
専門教育はもともと自分の興味がある分野で、深く掘り下げて講義することができたが,教養教育は幅広い知識が必要で,新たな勉強をして講義しなければならなかった。
以来,十年くらいは居るだろうと思っていたのが,環境に慣れてその後も居着いてしまった。
その間に国立大学は法人化され,それまでとは異なって大きく舵を切ってしまった。
大学人としての経験のない経済界や政治家や官僚たちの意向に抗えなかった。
国が統治しやすい大学へますます変貌しているようだ。
リタイアして5年たった今,職場も遠くなりにけりといったところか。