シニアがブログでモノローグ

このままでは年を取って死ぬだけ。ブログでもやってみよう。

リタイアして早3年

2018年(平成30年)の3月末に定年退職して今月末で丸3年になる。

年齢を重ねるほど時間が速く過ぎるように感じると聞いていたが、実感している。

光陰矢の如し。

 

リタイアして、しばらくは毎日の生活に違和感があった。

平日の昼間から温泉に行って湯に浸かりながら、今の時間にこんなことをやっていいのかと思ったりした。

一日一日が大変長く感じた。

しかし、時間がたつにつれて生活に慣れてきた。

 

去る者は日々に疎し。

人だけではなくて、いろいろあった出来事も忘却の彼方になっていくのか。

そうなる前に思い浮かんだことを記しておこう。

 

1989年(平成元年)4月に地方にある国立の某大学に赴任した。

その前までは東京にある私立の大学に助手として在籍していた。

そこで学位をいただいた後、さあ、これからどうしようかと考えていたところに知人の先生から某大学を紹介していただいた。

大学院を発足させるために人材を求めていて、その条件が自分の勉強していた分野に近かったという追い風もあって採用していただいた。

 

赴任してからの大学生活では、少なからずカルチャーショックを受けた。

それまでは、教授から助手に至るまでヒエラルキーを感じさせる学部(職場)であったが 、赴任した学部では職階をあまり意識することなくお互いが対等に発言していたからだ。

学部の性格の違いが大きいと悟った。

幸か不幸か、会議ではしばしば決着を見ない長時間の議論が続いていた。

 

また、学部の性格上、研究だけでなく教育に多くの教員が労力を割いていたことも初めての経験だった。

大学全体での教養教育にも私の学部の教員が関わっていたからだ。

 

しかし、教養教育に携わってみると、それまでは専門教育に身を置いていた私にも考えさせられることがあった。

専門教育は自分の興味がある研究分野なら深く掘り下げて講義することができるが、教養教育は幅広い知識が必要で、新たな勉強をしていかなければ教えられないのだ。

 

筑波大学の学長も務めた江崎玲於奈氏が教養教育はいろいろなことを学んで経験を積んだ者が教えるべきだと言ったそうだが、まさにその通りだ。

専門教育に専従していると教養教育をつい上から目線でみてしまう人もいそうだが、そのような人ほど教養教育を担わせると大変な思いをするだろう。

 

それでも、10年くらいは赴任先に勤めなければいけないと思っていたが、いつの間にか環境に慣れてしまい定年退職するまで居着いてしまった。

その間に大学の設置基準が大綱化されるという大きな変革があり、教養教育と専門教育の敷居は取り除かれた。

大学へ進学する人が増えていく中で既存の大学制度では多様な社会のニーズに対応できなくなったことから,大学の組織やカリキュラムの自由度を大きくするという大学設置基準の規制緩和(大綱化)を国が行ったのだ。