コロナの騒動で外出を自粛したり帰省を見送るよう国や自治体から要請がある。
この要請を守らない人を非難する方々がいるようだ。
マスコミでは非難する方々のことを自粛警察だとか帰省警察と呼んでいる。
これも同調圧力といわれるものの一つだろうが、世知辛い世の中ではないか。
決して不要不急ではなくて、やむなく外出したり帰省したりする人も多くいるだろうに。
そもそも不要かどうかなどは、その人の判断にまかせないとわからない部分が大きいのだから。
世知辛い世の中というのは、暮らしにくいとか余裕がない社会のことだ。
世の中が進歩するにつれて法律や施設が整備されてきた反面、それだけ息苦しく感じるようなことはないか。
年寄りの感慨ではないかと言われそうだが、昔の方がもう少し細かなことにとらわれない、おおらかな世の中であったような気がする。
野放しにするのは危険だが、ある程度の寛容さはあってほしい。
私は大学一年生の時に父を亡くした。
幸いに6人兄弟の末っ子だったので、上の5人の姉や兄から仕送りを受けて学生生活を続けることができた。
学部を卒業しても大学に残ったが、その頃、下宿先が区画整理の対象になり引っ越ししなければならなくなった。
学部を卒業しても仕送りを受けることに少し申し訳なさを感じていた私は大学の実験室に引っ越した。(もちろん、大学側には知られないように。)
家財道具などはないに等しく、友人の自家用車を使って片道1回で引っ越すことができた。
寝るときは、実験室にある診察台の上で寝た。
落ちると落差があって痛いので、寝相に注意して寝た。
ときどき近所のスーパーで食材を買ってきて、学生控室にあるコンロを使って自炊した。
魚を焼いたときは煙が出て少し慌てた。
後輩の間では、私が酒の代わりに実験用のアルコールを飲んでいるという噂が立ったこともある。
しばらくして、見かねたのか指導教授が私を助手に採用してくれた。
履歴書を書くときに住所がないので大学の住所にしていいか教授に聞いたら、さすがにそれはやめてくれと言われたので、先輩のアパートの住所を借りて記入した。
振り返ってみると、あの頃(半世紀近く前)は世間にすき間がまだあったように思う。
私の場合は、仮の住居としてみつけた大学の実験室という世間のすき間だ。
大学の管理や警備が厳しくなった昨今では実現が難しいかもしれない。
私はまわりの方々の寛容さに随分とお世話になってきたような気がする。