コロナ感染の第3波が来て、大都市圏を中心に2回目の緊急事態宣言が出されている。
ここにきて、今年に延期された東京オリンピックの開催が危ぶまれている。
オリンピックは世界最大のスポーツの祭典。
ただ競技成績を競うだけではない。
放映権料や海外からの観客の流入など、経済的効果も大きい。
ただ、今の状況では限られた国々の参加で、無観客で開催するのが精一杯ではなかろうか。
人類がコロナ禍を克服した証として開催したいと政府はいうが、少しぐらい証が遅れてもいいではないか。
再延期はできないのか。
多額の経費や無駄な施設など,近年は理想的なオリンピックができているのか疑問だ。
オリンピックに限らずスポーツを楽しもうではないか。
コロナ禍ではスポーツを楽しみにくいが,とりあえずは、スポーツの意義について思いをめぐらせてみよう。
健康の維持増進や体力の向上に役立つことは誰でも思いつくので,それ以外のことをあげてみよう。
1つ目は精神的充足が得られる。
壮快感,達成感,他者との連帯感、プレイする楽しさや喜びを感じることができる。
運動負荷により、ベータエンドルフィンという快感をもたらす神経伝達物質も出てくる。
2つ目は人間形成に役立つ。
年寄りには効果が薄いかもしれないが、苦しいトレーニングで培われる克己心、フェアプレイの精神、他者への思いやりなどが身につく。
ただし,「健全な精神は健全な肉体に宿る」ということばもあるので,スポーツをして健全な肉体を作れば人間形成ができると思っている人がいるかもしれないが,そうではない。
健全な肉体が健全な精神の条件でないことは、私がいろいろな人を見てきた経験から明らかだ。
普通に考えてもそうだろう。
そもそも,「健全な精神は健全な肉体に宿る」ということばの原典となっている古代ローマの詩人の文章ではそんなことは言ってないようだ。
You ought to pray for a healthy mind in healthy body.(英語訳)
健康な体でもって健康な精神でいられるよう祈るべきだと言っているにすぎない。
3つ目は夢や感動を与える。
競技スポーツであるプロ野球やサッカーの選手になりたいと夢見る子どもたちは多い。
超人的なプレーは見るものに感動を与える。
4つ目は経済的効果。
オリンピックでのもうけ話は1984年のロサンゼルスオリンピックのときから聞こえてくるが,それ以後は複数の都市が開催地に名乗りを上げるようになった。
今回の東京オリンピック開催が決定したときの招致関係者の喜びようをご記憶の方もいるだろう。
オリンピックに限らず,スポーツは観戦料、グッズ販売、レッスン料など商売になる。
スポーツ産業の広がりで雇用が創出される。
5つ目は相互理解、友好と親善に役立つ。
各種目は世界中で同一のルールであり,世界共通の文化だ。
ことばが通じなくてもゲームはできる。
スポーツを介した友好と親善の代表例はアメリカと中国のいわゆるピンポン外交だ。
1971年に日本で開催された卓球の国際大会の後,中国がアメリカをはじめとする外国人選手を招待して親善が深まった。
これを契機に翌年,ニクソン大統領が訪中し,国交正常化への道が開かれた。
上にあげた5つは、どちらかというとアスリートと呼ばれる人たちのスポーツについての意義を取り上げてみた。
私たちのような庶民が行うスポーツにも親睦、外出のきっかけや認知症予防などいくつかの意義が考えられよう。
オリンピックがなくてもスポーツを楽しもう。
スポーツにはするだけでなく、見る、支える(ボランティアなど)というやり方がある。
スポーツを楽しめない方は、昔の学校体育の強制されるイメージが強いかもしれない。
スポーツのもともとの意味は「気晴らし」だ。
堅苦しくならないで、気晴らしを試みることをお勧めする。