シニアがブログでモノローグ

このままでは年を取って死ぬだけ。ブログでもやってみよう。

東日本大震災から10年,再生可能エネルギーで暮らそう

もうすぐ東日本大震災から10年になる。

当日の午後、勤め先の部屋で翌日からの後期入試の準備をしているとき,大きくゆっくりとした揺れを感じた。

数十秒間続いたように思う。

ただ、部屋の中では本棚が倒れるようなことはなく、周辺でも倒壊したような様子はなかった。

 

間もなく停電したが、携帯ラジオでニュースを聞いた。

初めのうちは震源地が内陸と伝えていたように思うが、その後、大津波が押し寄せたと聞いたときは唖然とした。

 

宿舎の私の部屋がどうなっているか気になったので勤め先から車で戻ろうとしたが、途中に踏切があり、遮断機がずっと下りたままになっていたので仕方なく引き返した。

数時間後に宿舎に戻ることができたが、目立った被害はなかった。

スーパーに買い物に行ったが、停電でレジ打ちができないために手計算をしており、客の長い列ができていた。

停電は丸一日以上続いたので、その日の夜はローソクと石油ストーブで過ごした。

津波による大惨事をテレビで目にしたのは地震の翌日、停電が復旧したときだ。

 

地震の被害に拍車をかけたのは、何といっても原子力発電所津波に襲われたことだろう。

被害に空間的、時間的な広がりをもたらした。

安倍前首相はオリンピック招致のために原発事故がアンダー・コントロールの状態にあると言ったが沈静化しているだけの話だ。

事後処理は難航し,アウト・オブ・コントロールのように感じていた。

溶けてしまった核燃料の取り出しも10年経つのに未だ、ままならないではないか。

 

私たちはこれまで技術革新を重ねながら、より豊かな生活ができる社会を目指してきた。

ここでの豊かな生活とは便利で物質的に豊かな生活だ。

そのような生活は電気仕掛けのものであふれ、多くの電力を必要としている。

しかし、そのための発電を原子力にも頼らないといけない社会は少し無理をし過ぎているのではなかろうか。

原子力発電のように制御が難しくて、ひとたび事故を起こせば甚大な被害をもたらすようなエネルギーの獲得技術は危うくてしょうがない。

 

化石燃料原子力によるエネルギーは資源の枯渇や環境汚染をもたらす。

それらに替わり、巷間言われているような再生可能エネルギーの利用はきっと私たちの身の丈に合ったものだろう。

エネルギーをまかないきれないで多少,生活が不便になるようなことがあってもかまわない。

もう十分過ぎるくらい豊かな生活をしているではないか。

 

再生可能エネルギーとは,利用する以上の速さで自然に再生するエネルギーのことをいう。

太陽,水,風,地熱,波など自然界に蓄えられているエネルギーだ。

再生可能エネルギーを利用した暮らしは,人類の歴史700万年の99.9%を自然環境の中で過ごしてきた者たちの,それこそ将来にわたって持続可能な生き方のように思う。