いよいよ東京オリンピックの開催月になった。
政府は終始、開催あるのみでことを進めている。
菅総理は野党から具体的な開催条件を問われても、「国民の命と健康を守る。それが前提条件だ。」とか言ってけむに巻いている。
国民の命と健康を守るのはコロナ禍に限らず、当たり前のことだろう。
日本国憲法第25条に私たちの生存権と国の社会的使命が明示されている。
条文は以下のようだ。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
菅総理の答弁は憲法で保障された当たり前のことを言っているだけ。
具体的な開催条件が答えられないでいる。
今となっては、憲法にも記されている国の社会的使命としての公衆衛生対策をきちんとしてもらわなければなるまい。
公衆衛生というのは簡単に言うと、人々が病気にならないようにすることだ。
hygieneという言葉が用いられたが、ギリシア神話に出てくる健康の女神の名に由来する。
明治の時代になって西欧から医学を導入したときに、長与専斎という人がhygieneという原語を生命や生活を守るという意味で衛生学と和訳している.
一般大衆を意識した衛生学が公衆衛生学(public health)だ。
公衆衛生学は18世紀後半にイギリスで始まった産業革命以後,労働者の疾病,貧困,劣悪な生活環境への対策などからその学問分野を形成した。
日本へはアメリカを経て,第二次世界大戦後の占領政策として,廃虚の復興のために導入された.
衛生学や公衆衛生学の分野は幅広い。
医療従事者はもとより、感染症学、ウイルス学、免疫学、疫学統計など様々な分野の専門家が新型コロナウイルス感染症の予防に尽力している。
政府は専門家からの提言に真摯に対応すべきだ。
専門家の話を「自主的な研究」と言って聞き流している担当大臣がいるから困ったものだ。