シニアがブログでモノローグ

このままでは年を取って死ぬだけ。ブログでもやってみよう。

白内障手術での予期せぬ出来事

今月、両方の眼の白内障手術をした。

一回目の手術(右目)については前回のブログに記したが、手術をした日の夕方から胸と腕が少し痒くなっていた。

すぐに痒みも引くだろうと思っていたが、日を追うごとに痒みは増し、全身に広がっていった。

 

一回目の手術から5日後の診察で手足や体幹の皮膚が赤くなって痒いことを訴えると、すぐに皮膚科で受診するようにいわれた。

その日のうちに行きつけの皮膚科を受診すると,全身にアレルギー症状がみられるとの診断で、ステロイドの飲み薬と塗り薬を処方された。

 

診断結果を皮膚科から眼科に報告してもらうと,眼科から私に2回目の手術では麻酔の専門医を立ち会わせるという連絡があった。

どうやら,一回目の手術で使用した麻酔薬のどれかがアレルゲンになっているのではないかと推測したようだ。

 

ということで,二回目の手術(左目)では院長の執刀に麻酔の専門医が加わってくれた。
どんな手術方法になるのか,まさか麻酔しないことはないだろうなと少し心配したが,一回目のときとほとんど同じ方法で手術は行われた。

幸いにも二回目の手術ではアレルギー症状が現れることもなく,アフターケアの日々が続いている。

 

アレルギーが再度起こることを警戒してどんな対策がとられたのか,その詳細はわからないものの,担当医からの話では麻酔薬よりも抗不安薬などに原因がありそうだという。

より疑わしい順番に,アタラックスP,デパス,ボスミンという3つの薬を教えてくれた。

アタラックスPは錠剤,デパスとボスミンは点滴で投与するとのこと。

 

アレルギーを起こす薬がどれなのか特定はできないが,今後のために今回の出来事を記憶に留めておかねばなるまい。

 

 

 

白内障手術体験記

白内障手術の日がやってきた。

午後からの手術だが,午前中から呼び出される。

病院に着くと,いつも通り,まず視力と眼圧を検査される。

その後,別室で手術の説明同意書を渡し,血圧を測られる。

 

それからは手術までの時間を待合室で過ごす。

手術開始時刻の2時間前に手術室の前室に来るように言われる。

 

待合室で手術の手順を書いたカードを読んでみると,麻酔に注射も使うと記述されていた。

えっ・・・・・。

点眼薬で麻酔できるという,今までに仕入れた情報と違うではないか。

 

しかし,ここはまな板の上のコイ。

何とかなるだろうと気を取り直す。

 

時間が来て手術室の前室に行きパジャマに着替えると,リクライニングの椅子に座らされる。

精神安定剤を一錠飲み,腕には点滴のチューブにつながった針を刺される。

もうオシッコにも行けない。

 

しばらくして,いよいよ手術室に入る。

何の変哲もない細長いベッドに仰向けに寝る。

スタッフから笑気ガスの吸引装置を鼻にあてがわれ,薬を点眼してもらい,注射をするという眼瞼の横を消毒される。

場合によっては耳の後ろにも注射をするという。

ああ,注射をするというのは本当だったのだと確信する。

 

眼瞼の横に注射されると目の感覚がなくなった。

眼が閉じているのか開いているのかわからない。

こうして顔にシートがかぶせられ,手術は始まった。

意識はあるが,感覚はない。

 

手術そのものは十数分で終わる程度のもの。

水晶体の実質を除去して人工のレンズを挿入する。

 

執刀医の名前は聞かされていなかったが,後で院長であることがわかった。

何人もいる執刀医の中で院長がしてくれたのなら,まあ,うまくやってくれたのだろうと思いたい。

 

手術が終わり再び前室に戻るときは少しふらついていた。

麻酔が効いたのだろうが眠気もあり,リクライニングの椅子に数十分,寝ていた。

その後,手術した右目をプレートやガーゼでものものしく保護した状態で,家族に付き添われて帰宅した。

 

翌日,また病院に行くと,検査技師からいとも簡単に右目を保護していたものをはぎ取られ,いきなり視力検査された。

視力は裸眼で乱視を矯正すれば1.0に回復した。

 

右目の出術の一週間後に左目の手術も行う。

 

 

 

白内障手術の前日

還暦を過ぎた頃から継続して眼科のお世話になっている。

緑内障とわかったため。

その頃はまだ現役で,丁寧な人間ドックの診察を受けていた。

 

人間ドックの検査結果をあれこれを眺めていた医師が,眼底写真で視神経乳頭の陥凹(かんおう)が拡大しているのをみつけ,眼科での精密検査を薦めてくれた。

視神経乳頭の陥凹とは視神経の神経線維がまとまって網膜から内部に入っていく部分の「くぼみ」のこと。

緑内障の場合,その陥凹が大きくなる。

網膜にある視神経が死んで神経線維が少なくなるのが原因らしい。

 

早速,眼科に行って視野検査をしてもらったところ,左右の眼ともに視野の一部に欠損が見られ,緑内障と診断された。

生活している上では両眼視なので左右の眼が補完し合い,視野の欠損には自分で気づきにくい。

40歳以上の罹患割合は20人に1人くらいというが,自覚症状が出にくいので気づいていない人が多い。

視野検査をしてみたらわかるだろう。

 

仕事をリタイアして引っ越したため,紹介状を書いてもらい今の眼科病院に通院している。

3か月おきに通院して診察を受けているが,最近,白内障でもあると知らされた。

視力が悪く,眼鏡で補正しても車の免許更新などで視力検査に合格しないかもしれないと主治医はいう。

 

ということで,白内障手術をすることになった。

日帰りの手術をしている人が多いので,私も入院しないで手術する。

今日がその手術の前日。

 

最初に右目を手術し,一週間後に左目を手術する予定だ。

麻酔薬を点眼されて十数分で手術は終わると聞かされているが・・・・・。

少し不安。

 

 

カード社会

自分の財布をのぞくと少しの現金と何枚ものカードが入っている。

キャッシュカード、クレジットカード、会員カード、ポイントカード、・・・・・。

カード社会になって久しい。

 

私がカードを使い始めたのは多分、遅い方。

はじめての利用はテレホンカード。

1980年代前半だったと記憶している。

公衆電話に差し込んで使い終わったら、差し込み口から出てこないのでびっくり。

探したら返却口が別にあってカードが出ているのを発見した。

 

その頃、キャッシュカードでATMから預金を引き出すことも覚えた。

それまでは通帳と印鑑を持参し、順番を待って銀行のカウンターで預金を引き出していた。

 

数年後、ヨーロッパへ旅行することになり、現地でキャッシュレスの買い物をするためにクレジットカードが必要になった。

銀行の行員にどんなクレジットカードがいいか聞いてみたら、JCBカードとかじゃないかという。

その行員はわかっていなかった。

 

20世紀も終わる頃に一年近く外国で暮らした。

現地通貨が日常的に必要なので、銀行口座から現地通貨が引き出せるシティバンクのキャッシュカードを作った。

シティバンクの銀行口座から引き出せるATMは世界中にあるので便利だった。
(後年、日本のシティバンクの業務をSMBC信託銀行が引き継いでいる。)

 

歳月は過ぎ、コロナ禍でますますカードを利用することが多くなった。

現金を触らないという清潔感がある。

少額の買い物にもクレジットカードを使う。

 

ネットショッピングでもクレジットカードを利用するが、フィッシング詐欺には気をつけねばならない。

 

国際男性デー

昨日11月19日は国際男性デー。

このブログを昨夜書き始めたが,眠くなったので今日になる。

3月8日が国際女性デーで国連が記念日としているが(本ブログ2022年3月14日付「ジェンダー平等と性的二型」参照)、国際男性デーの方は国連が決めているわけではない。

 

国際男性デーは男性の健康やジェンダー平等を願う日とされている。

トリニダード・トバゴで始まったらしいが,少しづつ広まって多くの国が11月19日を記念日にしている。

 

男性が女性よりも優位な立場にいた長い歴史があるので,女性の立場を改善しようとする国際女性デーがあるのはよくわかる。

その一方、いまさら国際男性デーでもあるまいと思うか知れないが,男性にも配慮が必要だ。

ジェンダー平等という観点からは,男性に対する差別意識も改善される必要がある。

 

差別意識としてよく取り上げられるのは,男性だからこうあるべきだという固定観念があること。

男性たちにも様々な個性や考え方があり,男性だからという偏見はよくない。

 

「男は・・・・・。」という固定観念は日本でも昔から諺(ことわざ)などで言い伝えられている。

男は度胸、女は愛嬌。(男がみんな物事を恐れなかったら逆に怖い。)

男を上げる。(女だって上げられる)
男子厨房に入らず。(テレビで見る限り,料理人は男が多い)

大男総身に知恵が回りかね。(ジャイアント馬場大谷翔平に失礼だろう)

男は敷居を跨げば七人の敵あり。(きっと女にも敵がいる)

 

「男のくせに」や「男なら」という固定観念にとらわれていてはいけない。

男性は生きづらい。

「女のくせに」や「女なら」も然り。

ジェンダー平等の社会を築くには,ジェンダーバイアスをかけてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地球温暖化と氷河時代

暦の上では立冬も過ぎているが,近頃ようやく寒さを感じるようになった。

これも地球温暖化の影響か。

 

考えてみるに今の時代は間氷期ということで,氷河時代の中休みの時期ではないか。

いずれ,また,氷期がやってくるから,温暖化と相殺し合ってちょうどいい具合になるんじゃないか。

と思いたいが,そういうわけにはいかない。

地球温暖化による異常気象は洪水や農作物の不作など,今を生きる人たちに深刻な影響をもたらし始めている。

 

地球の歴史でみると,過去に数回,氷河時代があったようだ。

氷河時代は寒い時期の氷期と少し暖かくなる時期の間氷期が数万年の単位で繰り返す。

 

地球の歴史には地質時代ということばが使われる。

その時代に繁栄した生物の化石などを手がかりにして時代を区分している。

現在を地質時代の具体的な名前でいうと,第四紀。

人類が繁栄する時代だ。

 

第四紀は完新世(約1万1700年前から現在まで)と,その前の更新世(約258万年前から完新世の前まで)に分けられる。

そして,この更新世が典型的な氷河時代であったことが化石や地層の分析から明らかにされている。

私たちは更新世の最終の氷期から間氷期に移った完新世の時代に生きている。

 

地球温暖化を肌で感じるようになると,私たちが氷河時代間氷期にいることに望みを託したくなる。

いずれ氷期が始まると思いたいが,今後,3万年以内に始まる可能性は低いという。

地球温暖化を防ぐよう努力するしかない。

今日は棒ラーメンの日

11月に入ってまだブログを書いていなかった。

今月の第一週はシニアヨガに行ったり卓球に行ったりキーボードレッスンに行ったりと,他のことに気が向いていた。

何かブログのテーマが思い浮かんでいれば短時間でも書けそうなのだが。

昔のように,いっぺんにいろいろなことができない。

 

ということで,ブログの話題を決めるヒントにならないかと,今日は何の日か調べてみた。

11月11日・・・。

あるある。

今日はいろいろな記念日になっている。

 

日付を画像化してみると,縦に線が4本だからか。

煙突の日。

下駄の日

箸の日。

まつげ美人の日。

ひとり旅の日。

・・・・・。

 

そんなたくさんある中に,親しみを感じたのは「棒ラーメンの日」。

確かに今日の日付は棒ラーメンのようにも見える。

この日は一般社団法人の日本記念日協会にも認定,登録されている。

 

棒ラーメンという名称は最初に開発した会社マルタイが商標登録しているので,一般的には棒状ラーメンと呼ばれている。

棒状ラーメンは細長く伸ばした生地をそのまま乾燥させて作った麺で,一般的に油で揚げている縮れ面よりカロリーが低い。

ラーメン店で食べる棒状の麺の食感に似ていて独特の味がするので,自分でも好んで食べる。

 

最近はいろいろな棒状ラーメンが販売されている。

とりわけ,昔からあるマルタイの棒ラーメンは郷愁漂う即席麺として知られている。

 

私も棒状ラーメンを作るので,その調理方法を以下に記す(紹介するほどのものでもないが)。

 

予めトッピング用のゆで卵,生ハム,味のり,いりゴマ,紅生姜,もやし(野菜ならなんでもいい)などを用意する。

もやしはシリコン容器に入れて電子レンジでチンすると簡単。

 

棒状ラーメンの袋からスープの素とラー油を取り出してどんぶりにあける。

手鍋で湯を沸かし,棒状の麺を放射状に入れると2分前後で再び沸騰するので,麺が伸びないよう早目に火を止める。

先に湯をどんぶりに移してかき混ぜ,さらに麺を入れてスープになじませる。

 

用意していたトッピングをのせて出来上がり。