シニアがブログでモノローグ

このままでは年を取って死ぬだけ。ブログでもやってみよう。

桜咲く

桜が開花し、花見シーズンに突入した。

桜の花は日本で一番鑑賞される花ではないか。

 

開花して半月もすれば散ってしまう,はかない花だ。

短期間ではあるが,どこかに花見に行こうか,桜の木の下で宴会しようかと心がそぞろになる人も多かろう。

 

このような気持ちを昔の歌人は「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」(古今和歌集)と詠んだ。

現代風に意訳すれば,「桜の木はサア 春にちょっとの間しか花を咲かせないから見に行きたいと思ったりするジャン 陽気にもさそわれて出かけてみたい気持ちになるんだよネ いっそのこと桜の木なんか無かったら こんなに心がソワソワしないのにネ」といったところか。

 

私の故郷にある城跡では昔からこの時期に桜まつりがある。

昔は4月1日から10日までの10日間だったが,いつの間にか期間が一週間程度早められて3月下旬から4月上旬までの10日間になっていた。

 

桜の開花する時期が早くなったので,それに合わせて祭りの時期を早めたのではなかろうか。

いわゆる地球温暖化が故郷の桜まつりの実施時期にも影響しているのだろう。

 

桜が咲いて楽しみ,散って悲しむ。

昔、この有様を大学入試などで合否電報の通信文によく利用していた。

通信文は語数が増えると料金が加算されるので、短文が好まれる。

合格の場合は「サクラサク」。

不合格の場合は「サクラチル」。

 

遠く離れた大学を受験したとき,キャンパスにある掲示板の合否結果をすぐには見られない。

そこで受験生がよく利用したのが合否電報だ。

受験した大学に在籍している学生たちが掲示板を見て合否を確認し、電報を打って知らせる作業を受験生から請け負っていた。

 

近ごろは受験の合否をインターネットを通じてすぐに知ることができる。

合否電報が懐かしい。

春分の日は既に昼が長い

昨日は春分の日だった。

どうも近ごろは時の流れに意識がついていかないようで、過ぎた日を振り返るような日が続く。

動作が鈍くなるのと同じように、頭の回転も鈍くなっているのか。

これではいけない。

 

春分の日といっても特別な感慨はないが、いよいよ春がやって来たという気はする。

天文学的には太陽が真東から出て真西に沈み、昼(日の出から日の入りまで)と夜(日の入りから次の日の出まで)の長さが一緒の日だと思っていた。

 

しかし、詳しくいうと春分の日は既に昼の方が長いらしい。

太陽と地球の位置関係からは昼と夜の長さが等しくなる状態にあるが、実際の時間は昼が8分程度延びる。

昼が8分程度延びれば、その分、夜の長さが削られるので、昼と夜の長さの違いは16分程度になる。

 

昼の時間が延びる理由としては二つのことがあげられる。

一つは日の出と日の入りの定義からくるもので、両方とも太陽の上辺が地平線と一致する時間とされている。

太陽の中心をその位置とすると、日の出から日の入りまでの時間は太陽の中心から上辺まで移動する時間がプラスされる。

つまり、その分、昼が長くなる。

二つ目は大気が光を屈折させるので、太陽が地平線より少し下にあっても太陽が見える時間があるということ。

 

これらの理由から、春分の日は既に昼の方が夜よりも長い。

実際に昼と夜の長さが一緒になるのは春分の日より4日くらい前とのこと。

 

これからは昼の時間が長くなっていく太陽の季節だ。

ジェンダー平等と性的二型

先日の3月8日は世界女性デーだった。

私にとっては聞き慣れない日だ。

 

アメリカで1904年3月8日に女性労働者たちが女性の参政権や労働条件の改善を求めてデモを行ったのをきっかけに、ヨーロッパやロシアにその動きは広がっていった。

3月8日は女性の地位向上を目指すということで国連が1975年に正式に定めた世界的な記念日らしい。

 

ジェンダー平等にほど遠いのは日本で、レディファーストの欧米では女性がいつも尊重されていると思っていたが、そうでもなかった。

女性の地位向上を図らねばならないというのは世界共通の課題だ。

 

なぜ、男女で不平等が生じるのか。

私にはジェンダー論の詳しいことはわからないが、生物としての人間が持つ性(さが)が影響しているように思う。

 

いろいろな生物の雌雄に見られる主として形態的な差異を性的二型という。

雌雄で大きさ、形や色などが違うことだ。

人間では一般的に男の体格が女よりも大きい。

(そもそも、性を男か女かという二元論ですませるのは性の多様性という流れに逆行するが。)

 

原始社会では、男で骨格や筋肉が大きいことが同性間闘争による配偶者の獲得や狩猟での食料調達に有利に働いただろう。

強いものには弱いものが従わざるをえない。

いきおい、性的二型にともなう性役割として男女間に主従関係を形成したというのは想像に難くない。

このような主従関係が途絶えることなく続き、現代社会ではジェンダー不平等という形で現れているのだろう。

 

人類が進化するにつれて性的二型はその程度が小さくなっているというが生物学的な発現であり、そのような性差はどうすることもできない。

ジェンダー不平等に対しては文字通り社会的、文化的な男女不平等をなくしていく必要があるが、時間がかかりそうだ。

 

夫婦間にみられる妻が夫より強いという多くの例は社会にみられる主従関係と逆転しており、ジェンダー平等の可能性を示している。

2月は短い

昨日で2月もあっという間に過ぎた。

他の月よりも2,3日短い。

損をしているのか得をしているのか、よくわからない月だ。

 

何で2月だけ短いのか。

恥ずかしながらよく知らなかったので,調べてみた。

 

ご存知の方もいるだろうが、現在の暦(グレゴリオ暦)のもとになる暦では一年が3月から始まっていた。

大昔のことで、古代ローマの時代にまでさかのぼる。

 

最初は春になる3月から冬になる12月までしか暦を作っていなかった。

農作業に関係する月だけ暦にしておけば事足りていたらしい。

一年の残りの期間は適当に過ごしていたが,やはり月を加えようということで1月と2月を暦に付け足した。

こうして、一年は3月から始まり2月に終わるという暦ができあがった。

 

したがって,2月は一年の日数の調整月の役を担うことになった。

一年の日数を12か月に割り振るときに、いろいろあって(非科学的なことだが)一年の最後の月である2月に日数のしわ寄せがきたようだ。

その結果,2月は28日までということになった。

 

当時は一年が355日で太陽暦の365日とはズレがあった。

このズレを修正しようと,かの有名なジュリアス・シーザーユリウス・カエサル)は一年を365日,4年に一度のうるう年を366日とするユリウス暦を紀元前45年に制定した。

しかし,365 日にするために増やした日数は2月以外の月に割り振られ,2月は28日のまま,うるう年のみ29日とする現在の暦ができあがった。

また、その頃には一年の始まりは1月からになっていた。

 

現在,世界中で使用されているグレゴリオ暦ユリウス暦を少しだけ改良したもの。

「西暦が100の倍数のとき,100で割った数が4の倍数でないときはうるう年にしない」ということにした。

つまり,400年に3回うるう年を平年の扱いにして太陽の年周期とのズレが大きくならないようにしている。

 

2月の日数の短さは古代ローマの時代から今まで、ずっと続いてきたということだ。

 

 

スキージャンプのさらちゃんで思うこと

北京で冬季オリンピックが開催されている。

中国によるウイグル人への人権侵害などで一部の西側諸国はオリンピックを外交的にボイコットしているが競技そのものは、やはり面白い。

 

競技だけでなく入試などもそうだが、お互いに競い合うときは一部の人たちが得をしたり損をしたりしないよう公平性を担保することが重要だ。

しかし,北京オリンピックでは公平性に欠けると思わせるような出来事がいくつか生じている。

主催国である中国というよりも各競技団体で取り決めたルールや運営のまずさによるものだろう。

 

数日前に話題になったのは、団体競技の男女混合ジャンプだ。

日本のレベルは高いが、女子の高梨沙羅さん(さらちゃん)が長距離を飛んだのに失格になってしまった。

だぶついているスーツを着ていたからだという。

だぶついている部分がムササビのように広がって飛距離を延ばすらしい。

 

しかし、問題だったのはスーツがだぶついているかどうかのチェックが競技の最中で、一部の選手だけへの抜き打ち検査だったこと。

入試に例えるなら、受験中に一部の受験生だけに抜き打ちで尋問するようなものだ。

こんな不公平なことをやったら受験生やメディアに騒ぎ立てられるに違いない。

 

昔、入試監督をさせられていたが、全受験生に対して解答時間を等しく確保したり同じ文言で指示したりすることを厳しく要求された。

繰り返すが、競技や入試では公平性を担保することが大変重要だ。

 

もう一つ、今回のジャンプ競技の抜き打ち検査で気になるのは、スーツのだぶつき具合をどのように検査したかだ。

人体の寸法を計測してスーツのサイズとの差を調べている。

どんな計測器具を使ったのか?

どんな姿勢をとらせて計測したのか?

検査者が何人かいたのか?

計測に熟達した検査者か?

複数回の計測結果をどのように処理したのか?

 

人体計測では生身が柔らかくて形状にも個人差があり、誤差が出やすい。

計測に慣れていても、計測者の癖により計測値に偏りが出ることもある。

何を測ってもそうだが、計測値は真の値の近似値に過ぎない。

真の値はわからない。

したがって、計測値(近似値)=真の値+誤差

 

誤差をどの程度まで小さくできるかが計測値の信頼性の鍵になる。

(誤差/真の値)×100を相対誤差(%)という。

真の値はわからないので、便宜的に(誤差/計測値)×100を計算する。

 

誤差は計測値から真の値を引いたものになるが、真の値はわからないので何度も計測した計測値の平均値(最確値)をあてる。

すなわち、誤差=計測値ー平均値

人体計測での相対誤差はどうだったのか。

 

いろいろ、知りたいことがある。

 

 

建国記念の日の「の」

今日は建国記念の日

建国記念日とはいわない。

建国記念と日の間に「の」が入ることが肝要らしい。

 

建国記念日といえば建国が宣言されたり認められたりしたことが明らかな日付を想像するが、日本の場合は神話から建国された日を決めている。

日本最古の歴史書ということで有名な日本書紀に記されているらしいが、前半部分は神話の世界。

 

初代の神武天皇が即位したのが新暦では紀元前660年 2月11日と割り出しているが、その頃はまだ縄文時代

どれくらいの証拠があるのか。

建国記念日といえるほどの確かな日付ではない。

 

日本という国家が形成されたのがいつかには諸説がある。

いつかはっきりとしないが建国されているのは確かなのだから、誕生日と同じように日を決めて祝おうというのが建国記念の日だろう。

 

建国をしのび、国を愛する心を養うというのがこの祝日の趣旨だ。

国を愛する心・・・・・愛国心

警戒しないといけない言葉ではある。

 

愛国心

私たち日本人が暮らしている共同体の大きなくくりが日本という国家だ。

そのような国家に愛着心を持って自由や平等や正義が侵されないようにすることは大事だと思う。

しかし、過去を振り返れば愛国心という名のもとに盲目的に服従させられた時代があったことも忘れないでおこう。

 

 

北国の春

ボーっとしていたらチコちゃんに叱られそうだが、いつの間にか節分や立春も過ぎてしまった。

いまだに北国は大雪で大変そうだが、春はすぐそこまでやって来ている。

 

私も長い間、北国で過ごした経験がある。

2月の上旬になると日が少し長くなり、日射しも弱いながら温かみを増してくる。

季節を分ける節分とはよくいったものだ。

冬から春へ移り変わろうとする気配を南国よりも強く感じた。

 

初めて北国で生活を始めたときは、現地のおばあさんから「冬が越せるかねえ」と緊張感のあるお言葉をいただいた。

北国の冬がどんなものか想像がつかなかった。

その冬を実際に私が経験して,印象に残っているものを以下に記しておこう。

 

よかったものとしては、冬期の間、寒冷地手当なるものが支給された。

給料の月額とまではいかないが、それなりの手当をいただいた。

暖房費などの出費に対応するものだった。

やがて、公務員の優遇が問題となる世の中になって大幅に減額されてしまったが。

 

寒さを実感したことは幾つかある(北国の方にとってはいつものことで面白くもないでしょうが)。

朝方、出勤して車を駐車するときはワイパーを立てておいた方がよい。

そうしないと夜、家に戻るときにワイパーがフロントガラスに凍りついている。

夜間はいっそう気温が下がるので、家から追い出されたり戸外で酔いつぶれたら間違いなく凍死しそうだ。

 

雪が降っても溶けてくれるといいが、残って積もりだすと身のまわりが冷蔵庫のように思えてくる。

積雪は車や人通りで踏まれると固まって氷になる。

氷になると、その上を歩くのは至難の業で、いくら注意しても転びそうになる。

転んで骨折した人の話をときどき聞いた。

どうしても氷の上を歩かないといけないとき、私なりに悟ったことがある。

それは、転ぶまいと力まないこと、というか、滑ることを楽しみながら余裕をもって歩くことだ。

スケーティングリンクに乗ったような気持ちでわざと靴底を滑らせたりする。

逆に、滑らないようにと思って歩き出すと力が入り、疲れて途中で身動きがとれなくなる。

 

家の周囲に積もった雪は自分たちで除雪しないといけない。

幸いに宿舎に住んでいたので除雪する場所は通路だけでよかったが、当番制だった。

当番は早起きして除雪したが、当番の個性が出た。

当番を気にしないで除雪しない人、当番が出張と重なって交代を頼む人、アルバイトを

雇う人(附属病院長)など。

 

除雪の仕方にも個性が出た。

南国育ちの私は雪が残らないよう徹底的に除雪した。

北国育ちの人は、またすぐに積もるのだからと歩きやすい程度に除雪した。

 

怖かったのは、吹雪の中をスキー場や空港など郊外へ車で出かけたときだった。

いわゆるホワイトアウトになったことがある。

吹雪で車の外の景色は真っ白,何も見えない。

他の車も走っているので停車するわけにはいかない。

追突したり追突されたりしないかと思いながら、徐行するしかなかった。

 

北国の春はもうすぐだ。