先日、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長が「女性の多い会議は時間が長くなる」と口を滑らせた。
最初、この女性蔑視の発言は森会長の陳謝で幕引きされかかった。
しかし、オリンピック精神にふさわしくないとか日本全体が女性蔑視の社会ではないかと思われかねないとかで、会長職の辞任要求など多くの人々の反感を買った。
国際オリンピック委員会や東京オリンピックのスポンサーも非難し始めた。
そしてついに森会長は辞任した。
冗談交じりなのかもしれないが、ちょっとした言葉遣いに気をつけないといけない。
昔、厚生労働省の大臣が講演で少子化の話をしているときに「15歳から50歳までの女性は子を産む器械」と言って問題になったことがある。
女性の15歳から49歳までを再生産年齢というので、この言葉につられて言ったのかも知れない。
私が若い頃、最初にこの再生産年齢という言葉を目にしたときは、少なからず違和感を覚えた。
再生産の対象が産まれる子どもなのに、商品やモノであるかのような表現になっていたからだ。
同時に、再生産年齢の女性は人間でない何かを生産する器械のように思われた。
失言した厚生労働省の大臣も同じように感じて、感じたままを言葉にしてしまった可能性がある。
誰が言い出したかわからないが、女性に対しての再生産年齢という用語は昔の男尊女卑的な思考を端的に示しているのではないか。
センスがないというか,今の時代にそぐわない。
再生産年齢は子を産む可能性のある年齢と定義されているので、出産年齢とかでいいではないか。
一人の女性が一生の間に産む平均的な子の数を合計特殊出生率というが、計算するときに再生産年齢の女性が対象になる。
ある年の15歳から49歳までの各年齢で女性が産む子の数をB15、B16、・・・B49とし、その年の各年齢の女性の人口をF15、F16,・・・F49とすると、合計特殊出生率は以下のように年齢別出生率を合計したものとなる。
合計特殊出生率=B15/F15+B16/F16+・・・+B49/F49
合計特殊出生率は戦後間もない1950年に3.65で、女性が3,4人の子を産むのが普通であった。
私などは5人の姉や兄がいるが、これくらいは珍しくなかった。
しかし、合計特殊出生率は徐々に低下し、最近の2018年には1.42となっている。
一組の夫婦に少なくとも2人以上の子がいないと人口が減少することは容易に想像できるが、その通りになってきた。
話題がそれてしまったが、男女平等の意識が日本中に浸透すれば、いずれ再生産年齢は死語になるだろう。