数日前は敬老の日だったが,カレンダーを見て休日を確認するくらいで影が薄いように思えた。
多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し,長寿を祝うことを趣旨として法律に定められた国民の祝日であったのに。
老人福祉法では老人を65歳以上と規定しているので私も敬老の対象者になるが,今日のような長寿社会で,祝われるのはまだ早い。
敬老の日の対象者を自分のこととして受容できるのは,75歳以上の後期高齢者になった頃からではないか。
私たちの寿命は年を追うごとに延びているが,どれくらいまで延びるのだろうか。
その前に、寿命は生態学的寿命と生理学的寿命を分けて考える必要がある。
つまり、自然環境や社会環境で観察される寿命と生理機能としての寿命とは異なる。
例えばメダカについてみると、自然環境の中に棲息するものは捕食されたりして1年程度しか生きられないが、家の中の水槽で飼われて外敵もなくエサも十分に与えられていると数年間は生きて命が尽きる。
前者が生態学的寿命で後者が生理学的寿命だ。
人間についても同様で,単に寿命というときは生態学的寿命を指している。
寿命が延びてきているというが,暮らしている環境が変化してきたからであって,生理機能が年を追うごとに変化してきているわけではない。
平均寿命といわれるものも生態学的寿命だ。
縄文や弥生時代の平均寿命が15歳前後と推定されているのに対して,現在の平均寿命は80歳を超えている。
これは生理機能のような人間の質が大きく変化したためではなくて,私たちを取り巻く環境や医療技術などが長生きできるように改善されてきたからだ。
それでは私たち人間の生理学的寿命はどれくらいなのか。
およその寿命があるはずだ。
個人差はあるが,最も死亡数の多い年齢がおよその生理学的寿命といえるだろう。
横軸に年齢,縦軸に死亡数をとると,最も死亡数の多い年齢を中心におよそ正規分布すると考えられる。
ある年にオギャーと生まれた10万人がその年の年齢階級別死亡率で死ぬとすると,年齢と死亡数の関係は下図のようになる。
死亡数が最も多い年齢を最頻寿命というが,この最頻寿命が年々生理的寿命に近づいていると考えられる。
今のところ,日本人の最頻寿命は男が80歳台の後半,女性が90歳台の前半に位置しているが,もうあまり延びそうにない気配だ。
日本人の寿命は世界でもトップレベルにあるので,現生人類の生理学的寿命の平均はここら辺になるのではないかと想像している。
だからといってご老人方は人生の短さをはかなむ必要はない。
寿命にも個人差があり,上図の限界寿命までは生きる可能性がある。
120歳前後だ。